今、就活をぼちぼち始める中で退職理由を聞かれることは多い。
ところで、ワタクシはこれまで5回も6回も転職を繰り返してきた
大バカモノ
である。
また、専任教員&教務主任をしてきて、採用面接も数々やってきているので、退職理由を問うてきた側でもある。
それらの経験から思うのだが、本当の本当の、面接者が本当に聞きたい退職理由を正直に述べる人は、イマドキ少ないのではないかと思う。
もしいたとしたら、それは「転職初めてです」というような「うぶ」な就活者であると思う。
さて、最近「認知的不協和」という科学用語について読んだ。
この本にあった。
電子版が良さそう
人間の脳はその人の行動と「認知」(考え)に矛盾があると、それに耐えられないというのだ。
この本に書かれていた例としては「喫煙」があって、
「たばこは吸ってはいけない」という考えと
「毎日タバコを吸っている」という行動の矛盾に脳は耐えられない。
そして、(ここが肝心!)考えと行動では、行動を変えるほうが難しいので脳は「考えを変える」ことを選ぶことが多いのだという。
つまり、「たばこをやめる」のはハードルが高いので、
「でも精神的には喫煙は落ち着く」
「ストレスの解消には役立っている」というふうに納得するほうを選ぶというのだ。
ワタクシの2021年3月の退職理由は「子どもの病気」で、通りがいい。
「これなら円満退職」
「これなら万人納得」
「自分も納得」
という理由で、ここを深追いしてくる面接者は、今のところいない。
ものすごく便利だ。
説明もしやすい。
だけども、たった一つそれだけが理由というほど「退職理由」は単純なものでないと、誰より自分自身がよく知っている。
「子どもの病気」はほぼ最後の決定的な引き金みたいなもんだった。
まずは、構造的に起きる学生の問題の数々。勉強しないあるいはできる状況にない、不法滞在化しやすい経済状況での来日、借金して来日する危うさ、それは政治のせいであり、金銭至上主義が教育にくみするとこうなる、というこの業界の持ってる問題。この業界を離れたい、という気持ちにちょっとなっていた。
次に社風と上司の方針。
電通鬼十則のパクリ社訓唱和(に、象徴される従業員の「こき使い」風土)。
上司の最重要の教育方針に従い続けるしんどさ。
(起立、礼、着席!を軍隊式に全員揃うまで毎時間毎時間やることが「これだけはお願いします」と言われ続ける方針であった。部下は「同化政策ですね」と言っていた。確かに。2次大戦時下の日本が植民地で行ったアレですよ。それをやり続ける気にはどうしてもなれず)
学生が使う教室にはお金をかけない。机、椅子、その他。学生の居住空間を快適なものにしようとか、最新の教育設備を整えたいとかいう発想は微塵もなかった。提案は即、却下。そこに社のやり方は如実に表れる。
掃除、消毒、掃除、掃除、掃除。
(すみませんが、家の掃除ができてないのに職場の掃除をするのはかなり耐え難かったし、家事の中で最大に嫌いなのが「掃除」なのよ)
(ノД`)・゜・。
建物が寒い。←これはものすごくこたえた。
年間休日105日の上に持ち帰り仕事が恒常的に発生し、気が狂った。
辞めてもなんとかなる経済状況。
家族(特に夫)から「もう辞めたら」コールがあった。
(でも、それって10年以上浴びてる「コール」なのよね。ただ「子どもの病気」で、この「コール」は最大になったと感じた)
そんなふうに、「退職理由」にはいろいろある。
実はたぶん「こういった考えの社員はいらない」「弱腰の上司はいらない」というふうに、社内に自分の居場所がなかっただけなのかもしれない。それが事実なのに「認知的不協和」で、私の脳はそれを認めたくなくていろいろ退職の理由付けをしてるだけかもしれない。
だから「どうして退職なさったんですか」に対する答えは
「社に自分の居場所はなかったんです。社の期待に応えられなかったんです。それだけの能力がないんです。社風の研究もせず調べもせず安易に転職した私は大バカモノです。それにこの業界について知ってるのについつい長居をしてしまいました」が正しい。
だけどもそんなことは棚に上げて「子供が病気で辞めた」と整理をつけてしまっている。
脳が「認知的不協和に耐えられない」だけだ。
まあ、ぐちゃぐちゃと書いたが、転職も何回もしてると自分に有利な答えを準備して面接に臨むので、実は「退職理由」はそう大して役には立たないように思う。
おそらくそのほとんどは「〇〇がイヤだったから」だと思う。
〇〇には、待遇、上司、人間関係、社風、キャリアが積めないこと、など、とにかく何かが入る。
それを「キャリアアップ、経験、チャレンジ、御社の社風、経営陣の方々の考え」などに言い換えて表現してるのであって。
なので、人にもよるのだろうけどワタクシは「退職理由」を聞くことには大きい意味は感じなくなった。
仔羊おばさん