勤務地のマンスリー(マンションじゃない。元は寮の建物)に来て三日、なんとか料理も作り、ちょっと落ち着くことができました。
東京の息子と孫にも会えました。
ちょっとずつ言葉も話すようになっていてびっくり。
( ゚Д゚)
人間って不思議な生き物だなと思います。
最初は誰かの世話になんないとすぐに死んでしまう。
でも、その後も一人前に社会で大人としてやっていくために何年もかかる。
ずーっと親の手が要ります。
親の稼ぎも要ります。
大体哺乳類はそんなイメージなのだけど、最終「教育」というやつがあって、そこは逆に親だけではだめで、他人の手が必要になる。
猫よ。お前もか。
でも君は人間を教育してやってるつもりかもな。
そして、人間は教育を受けている間に
あれ?
うちの親ってそう大したヤツではないぞ。
と、気づく。
うちの統合失調症の息子がなんか幼くふるまうのは、自分が一人では生きていけず、かつ社会にいるほかの人についていくことが難しくなってしまい、結果
親の偉大さに気づいた
とも解釈できる。
とりあえず私たち夫婦は、外国で生活するストレスに耐え、外国で働くストレスに耐え、病気のストレスに耐え、働きながら子育てするストレスに耐え、更年期を耐え、とにかくいろんなうまくいかないことや辛いことや担いきれないことに耐え、なおかつ精神的に耐えきっている。
頼れるヤツに見えているのかもしれない。

まあ勝手な私の解釈ではある。
とりあえず、種々風雪に耐え、今日を迎えているワタクシだ。
自分のキャリアの集大成みたいな仕事をしにやってきた。
この間、英語の勉強も中国語の勉強も編みかけの靴下も編んでしまうつもりで張り切っているけれど、どうにも家事の時間は重い。
やはり一人暮らしは負担が重い。
数は力
というが、本当にそうで、手分け・分担してコトを進められるのは、まことに効率がよい。
生存確率もそれにより高まる。
ヒトに教育が必要なゆえんだなと一人納得する。
( ̄ー ̄)
一人暮らしは三日でなんとなくの目途をつけた。
勉強どころか、風呂や皿洗いや洗濯で一日一日終わってしまいそうだ。
これ以上何ができるとはあんまり思わないトホホな親である。
仔羊おばさん