この裁判は社会の注目を集めました。
30人以上の方が理不尽にも突然尊い命を奪われた放火事件。
犯人は自分の小説のネタが盗まれたという妄想をこじらせて犯行に及んだ。
ワタクシのような法についてはど素人の人間でも、
これは死刑判決が出るな、と予想できる事件でした。
けれども、犯人の育ってきた環境を知ると、少しの同情の余地はあります。
声高にその主張を述べる人はいないけど、社会の中で不遇な目に遭っている人たちは少なくありません。
「妄想」ということで、統合失調症の次男を日々見ている私にすれば、
え?もしかして統合失調症?と思わなくはなかったです。
でも、統合失調症の患者だと「統合」に難があるため、計画的な行動だとか準備だとかができないのが普通だから、こんな放火だとかはちょっと考えにくい。
「心神耗弱状態」であったかどうかが裁判の争点だったとのこと。
それでも責任能力はある、という司法の判断となりました。
ただ似たような悲劇が起きないようにするには、青葉被告のようないわゆる「浮かばれない人」をできる限り生まない、幸薄い人を極力少なくする努力をするしかありません。
また、最後には「死刑制度の是非」というテーマが見え隠れしました。
彼が死刑判決を受けても、ご遺族の方々の大きい慰めにはなっていないように見受けられます。
極刑以外に適当な刑はないわけですが、極刑でもご遺族の方々が救われるわけではない。
すると、極刑のむなしさみたいなものが見えてきます。
罪は大きすぎて一人の被告が償える範囲を大きく超えてしまっています。
そんな時、死刑が妥当なのかどうか考えさせられる裁判でした。
しかしもちろん被告には心から悔いて残りの人生を全うしてほしいです。
ご遺族の方々にはお悔やみを申し上げるしかありません。
亡くなった方々の魂の安からんことを祈ります。
仔羊おばさん