50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

映画「君たちはどう生きるか」考

この映画が封切られてから、ちょっと時間が経ちました。

2回見に行った時、感想など話題になっていて、ワタクシも書きたかったんですけど、これから見るという方のため、できるだけ静かにしていようと思って、今日書くことにしました。

今、書こうと思ったきっかけは

イスラエルガザ地区で、病院が爆撃に遭ったというニュースに接して、です。

君たちはどう生きるか」でも主人公・真人のお母さんが入院している病院が空襲で焼け落ちるシーンがありました。

それが、大きいきっかけになりました。

 

まずは、この映画を見終えた後の率直なワタクシが考えたことを書いてみます。

宮崎駿監督の年齢、実績、これまでの作品の根底に流れているもの……などにワタクシは思いを馳せました。

高齢になると「これが最後かも」というのはリアルな現実です。

だから、監督もそのつもりで作っているとは思います。

一方で、興行収入、作品の質、思いをどう見ている方に伝えるか、等について宮崎駿監督、スタジオジブリはプロであって、結果も追い求めて作ってはいるはずです。

採算度外視とか、とりあえず自分のやりたいようにだけやる、というなら個人作品でTouTube公開でもよいからです。

 

で、ワタクシはこう見ました。きりがいいので5つ挙げました。

ネタバレはあるので、見るのを楽しみにしている方は読まないで先に映画作品を見てね。

(^◇^)

猫 映画を見る に対する画像結果

1.言いたいことは冒頭にある

この後に挙げる3や4とも関連しますが。

映画の冒頭は第二次世界大戦下の日本。主人公・真人の母は入院中。

空襲が東京を襲う。空襲があった方角に母の入院先の病院があるため、真人の父親、そして真人も慌てて病院へ向かいます。

焼け落ちる病院。

火の描写、見事ですね。映画の後半まで、炎の描写は度々現れました。過去の「ハウルの動く城」を思い出しました……。

話が横道にそれました。

この映画は見る人が自由に見られるように作られている映画です。であればこそ「わかりにくい」という評価になるし、多面的な作品ゆえに事前のプロモーションや宣伝をしない、というやり方もワタクシは納得しました。

冒頭のシーンでもう気持ちがいっぱいになって涙にくれてしまう人のためにも、この映画は作られていると思いました。

戦争で大事な家族を失う人。

亡くなってほしくない人がそれでも亡くなってしまう現実。

そんなふうに人生を終えたいとは思っていない(病で入院し、子供を残して空襲で命を落とす)けど、人生をそこで終えないといけない不条理。

昨日、一昨日ガザ地区の病院が爆撃を受けたニュースを目にし耳にし、それが一体どういうことか、重く現実がのしかかってきます。

映画の冒頭のシーンがもしかしたら全てかもしれないとワタクシは思っています。

戦争の悲劇

というもの。やはりそれは監督が伝えたかったことの一つだと考えます。

 

2.自分の死後に見てもらうことも想定している

なので、この映画のメッセージは強いものであって、そういう意味では明確だと思います。

真人の涙や、人にはやすやすと見せない傷ついた心。

そして「あ!これ『もののけ姫』!」「あ!これ『ハウル』!」「あ!これもしかして『ポニョ』⁉」「『トトロ』っぽい⁉」みたいなシーンもありましたよね……。

でもそれも監督自身が意図してのことなのか、あるいは意図はしてなくても同じ人が監督してるから自然とそうなってしまったのかはわかりません。

3.戦争中または「この次の戦後」も想定している

なぜ今、このテーマなのか、作品なのか?

一つには自分の最後を想定すると、どうしても伝えたいのは反戦の思いではないかとワタクシは感じました。

そこは強く感じました。

そして「戦争」は今も起きていて、そして今後日本も含めて戦争に巻き込まれる可能性は危惧されており、この次の戦争の後、「君たちはどう生きるか」という作品を見ることになる場合も想定していたのではないかというのがワタクシの「深読み」です。

 

4.反戦反戦だが「第二次世界大戦」に対する評価は国が違えば一定しない

映画の冒頭、真人の母は空襲の犠牲となってしまいます。

それを悲劇的にもっと描くことも可能だったと思います。けれどもこの映画はそうしていないし、疎開先で起きる不気味な出来事やファンタジー的に描かれる数々のシーンも力を入れて描かれています。

ワタクシは長年日本語教師として留学生と接してきています。

戦争とは立つ立場で評価が分かれます。

例えば、真人の母が空襲で亡くなることの悲劇性ですが、日本は第二次世界大戦においては侵略者側でした。

今の戦争でいえばテロを起こしたハマスやISやイラン、そしてロシア側でした。

私は日本で育って、多くの一般庶民は戦争の被害者であることを知っています。

けれども多くのアジアの国々から見れば日本人は侵略者であって被害者ではありません。「日本人が被害者?何をか言わんや!」です。

戦地で亡くなった軍人さんも東京や大阪や、あるいは原爆で犠牲になった人たちも、加害者側の国民ということになれば同情はされません。

国土を奪い言葉を奪い文化を蹂躙した側の国民が戦争で亡くなろうがどうしようが「そんなの当然の報いでしょ」となる。

宮崎アニメは世界を市場とする以上、一方的な戦争の描き方は難しい。特に「日本人も被害者だ」というのは主張しにくい一つの事実です。

日本人の一人としては、戦争の現実として「日本人自体被害に遭った。だからこそ戦争は悲劇なんだ。二度と起こしてはいけない」と声高に言いたくても、それ以上声高に「日本人は非人道的で空恐ろしい人々だ」という返答が返ってくる可能性はあります。日本人の恐ろしさを体感した方々は、まだまだ多くご存命ですし、体感していなくても、その事実を認識している人々を宮崎アニメは市場としています。

そこらあたりを無視することはできないとなると、第二次世界大戦を扱う作品は作るのがすごく難しいし、プロモーションも困難です。

で、この映画でも、これから生まれ来るであろう可愛いキャラクターを襲う恐ろしい鳥が血だらけになって死んでしまうシーンは描き方がやはり複雑でした。

あれ? どっちの立場でストーリー進んでる?

みたいな。

それがまたこの映画の複雑さ、わかりにくさにつながってる気がします。

 

5.見る者に未来を託す気持ちで作られている

でないと「君たちはどう生きるか」ってタイトルにしないですよね。

「この次にくる戦後」を想定してるとワタクシが感じたのも、そこにあるといえます。

 

他にも複雑に絡みつくこの作品のあれやこれやがありますけど、映画を見てから随分時間も経ってしまい、今日書けるのはこのくらいです。

 

まあ、一つの見方です。

 

仔羊おばさん