タイトルが長くなりすみません。
けれども今、すごく心にそう思っているのです。
ワタクシはサッカー好きで、サッカー日本代表のビデオなんかもYouTubeで見たりします(女子も男子も)。
さすがに日本代表ともなると、「選ばれて」その場にいる選手ばかり。
リラックスして自分の力を出すことも大事だけど、へぼいプレーなんかとてもできない、という自覚からなのか、どっちかというと「後悔ないようしっかりやるぞ!」って雰囲気です。
そういう風景を見るうちに、そう言えば私も「選ばれた人」しかできない仕事をしてるよなあ。
( ̄ー ̄)
と、思い至った。
今年の6月下旬から7月上旬にやった仕事がそれです。
で、秋にもその仕事があり先日申し込みをしたところです。
めでたく選ばれたら、また秋にその仕事ができる。
「日本代表」じゃないけど、よう考えたら資格も要るし、儲かるか儲からないかでなく心からその仕事がしたいのですよ。
「選ばれてする仕事」たった一回それができただけでもすっごく誇りに思っている。
自慢げな鼻持ちならないやつにはなりたくない!
だけども過去にさかのぼって、例えば40代、50代……。
ワタクシは子育てとの両立などに精いっぱいで、当時は考えもしなかったことなのですが…。
私は謙虚過ぎなかったか?
周囲の人からちょっと一目置かれるようになる演出が不足しとったんじゃないか?
自分の実績をもっとアピールしといたら、もうちょっと大事にしてもらえたんじゃないか?
(アピールなんかしなくても、本当に優秀ならちゃんと大事にしてもらえるはずってワタクシは信じていたの。今もその嫌いはあります)
例えば日本留学試験で少なくない学生が各科目で最高点をたたき出した時。
例えば進学の実績が考えられないくらいすごかった時。
そもそも周りに24時間戦えますみたいな専任教員ばかりの中、進学担当とか大事なキーになる仕事を私が任されていたこと自体、もっと胸を張ってよかったんじゃないか?
私は、結果が出たのは学生が頑張ったからだし(しごくまっとうな考え方ですよね?)、各先生がベストを尽くしたから(それも当然の理由ですよね)であって、自分が特別に秀でているからだとは考えませんでした。
というか、そんな自己評価すらできる余裕は子持ちの自分にはなかったです。
家に帰れば家事だの子供の弁当だの言うことを聞かないだの、帰りが遅いだの、塾さぼっただの、週末には年取った父親の愚痴を何時間も聞くだのしてました。
その上に週末は持ち帰りの授業準備(今と違って在宅勤務とは見なされないただ働き)、ちょっと長い冬休みや夏休みもテストの作成など時間に追われていた。
なーーーーんにも、考えるヒマはなかった。
人生はそんなもんだと感じていた。
しかし今、ふり返ってみるに、そんな自分の態度は違っていたんじゃないかと……。
ふと思った。
ジェンダーギャップの問題が叫ばれて久しい。
サッカーの話題に戻るけど、例えばアメリカの女子サッカー選手は「自分たちへのpayは男子に比べて不当に低い。もっと評価して」と声を上げ、実際にそれで彼女らのプレー環境は大いに改善している。
ワタクシには、その姿勢が欠けていたよね……。
(T_T)
と、思うのだ。
そしてこの状況は、今も多かれ少なかれ社会に蔓延してるんじゃないか。
とも思う。
自慢げな鼻持ちならないやつにはなりたくない。
けれども、自己評価を低く持つのもちょっと違う。「謙虚」は美徳だけどもいつまでもそれではいかんのかも。
なぜなら雇うほうは、できるだけ従業員を安く使おうとするからだ。
ワタクシのように文句を言わずアピールもせず、ただモーレツに働く者はやはり甘く見られていたなあと……。
もう少し当時自分が戦っていたら、もうちょっと後進の道を開いてあげられたんじゃないか……。
繰り返します。
自慢げな鼻持ちならないやつにはなりたくない。
けど、「果たして自分へのこの評価は低すぎるんじゃないか」と疑問を持つ視点も持ったほうがいい。
自分のためにも、後進のためにも。
仔羊おばさん