50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

いいことばかりではないさ でも次の扉をノックしよう

このブログはワタクシこと「仔羊おばさん」が仕事や社会問題などについて綴っている雑記ブログです。

長年、外国人への日本語教育の仕事に就いていました。

2021年3月に辞めたのですが、辞めた大きいきっかけは次男が統合失調症であることがわかったことです。

猫 親子 に対する画像結果

次男におかしい兆候が表れてから、1度精神科に連れて行きました。

決定的だったのは、忘れもしない極寒の2月。ワタクシの誕生日。

早朝、警察から電話がかかってきて、次男がどっかのビルに「違法侵入してたので保護しました」。幸い、夫が上京していたのですぐ連絡し、迎えに行ってもらいました。

その前からかなり様子はおかしく、卒論は提出してない、夫に会っても敵みたいににらむ。

夜電話をかけてきて「赤青黄色の服を着たやつが自分を追っている」などと言う。

その日は誕生日だったので、午後は大好きなサッカーの試合のチケットを取ってましたから内心ははらはらしながら見に行きました。

セレッソ大阪松本山雅だったかなあ。

試合中も夫から「緊急事態」を告げるLINEが刻々と入ります。

とりあえず大阪に連れ帰ることにした。今新幹線に乗っているが、「降りる」と言って聞かない、抑えるのに苦労している。

「新大阪まで迎えに行こか」と聞くと「頼む。来てくれ」!

で、試合はほぼ何も目に入ってなかった。前半でスタジアムを後にし、新大阪に向かいました。

その時の次男の様子は「疲れている」という感じ。

「降りる、降りる」と騒いだらしいけどそんな様子はなく、大阪に戻って来てそれなりにほっとした感もありながら、スーツケースにもたれかかるようにして歩いていました。

 

で、ともかく病院に精神科に連れて行こうと上司に事情を話してその後休みを取りました。

私の住んでいるところは都会で、精神科の病院も少なからずあります。

でも「さあ、病院に」と連れて行っても「予約の方だけ。1か月予約待ちです」。

その後5、6か所の病院に電話しても同様のお返事でした。

(余談だけど、ほんと日本は病んでるよ!問題だよ!)

さあ、ケータイの電源ももう切れそう。今にも逃げだしそうな次男を捕まえつつ、保健所に電話して、電車とバスを乗り継いだところにある精神科専門の病院を教えてもらいました。

その電話をかけている間も逃げそうなんで、地下街の公衆電話で「あかん!逃げたら!」みたいな声を次男にかけ、恥ずかしいけど恥ずかしがってもいられない!

(>_<)

その時点では、私は薬物使用を疑っていました。

 

で、初めての精神科の受診。

実際は受診までにまずは精神保健士さん? 正式名称はわかんないけど、ともかくその方にこれまでの経緯など話していきます。

まずは親から、そして本人から。

その午後、受診できることになりました。

ものすごくほっとしました。

病院でもイロイロありました。

ここではカット。

結果、薬物はシロ。

疑わしいのは統合失調症自閉症スペクトラム、躁鬱、などでした。

でもその時の診断は「シロ」で、東京に戻って一人暮らしをしてもいい、仕事(バイト)も大丈夫、というものでした。

ただ、この時点で何もないと言っても、今後はわかりませんよとは言われました。

 

当時次男は経済的にも破たんしていて、

学費に、と渡していたお金もなくなっており、カード借金の督促状もそこそこ来ていました。

とりあえず休学させて、大阪でバイト生活を始めましたが、すぐに首になりました。

バイトの面接もことごとく落ちて帰ってきます。

親子げんかも絶えず、警察に夜中駆け込んだこともありました。

家族関係も決裂し、次男は東京に戻りました。

そこでもバイトはしたみたいですが、ほどなくしてまた警察から電話がかかってきました。

今度は万引きで捕まったのです。

でも「万引き」なんてカワイイ額じゃなかったですよ!

( ̄д ̄)

すみません。世間様に多大なるご迷惑を……。

 

で、またまた大阪に連れ帰り再び精神科に。今回は前に病院にかかってたのでその系列の病院に行くことができました。家からも近く、ほんとに助かりました。

で「統合失調症」の診断が下りました。

診断されて、実はむしろほっとしたのが本音でしょうか。

それまでは「どうしてこんなとんでもない子になってしまったのか」

「これからまともな子になれるのか」

その不安の大きさたるや、自分には担いきれませんでした。

特に経済的に破たんしたり、万引きしたりですから、そういうことが繰り返されたら空恐ろしいですよね。

仕事をしてたので、気が紛れていたとも言えますが、なんか自分自身を立て直したい気持ちでしたか。

学校では主任でしたし、変な昔体質の会社で、上司はガンガラ怒鳴ることもあるし、コロナにかかった学生をなじるし……。

ほんとは「子どもの病気で辞めます」なんて口実でしかなかったです。

でも、整理したかったんです。とりあえず落ち着きたかった。

ものすごい「問題な」学生募集の実態もありましたし。

で、診断から半年後くらいで何とか辞めることができました。

次男はその間、2週に1度通院、週に3回くらいデイケア

薬を服薬するようになって、ねじ曲がったような性格はちょっと穏やかになったような気がしましたが、今度は寝る寝る!

夜は早くに寝てるけど、昼間も寝る。

統合失調症では「陽性期」「陰性期」というやつがあるのですが、うちの次男の場合、

陽性期:怒りっぽい、落ち着きがない、すぐ怒って人を困らせる、万引きなど悪いことする、音に敏感で「うるさい」と言う、耳栓をする。「虫がいる」などと言うが、ほんとか幻覚か不明。

陰性期:寝る。ぐったりしている。

 

その時期も結構大変でしたかね。

特に仕事がね。

コロナもあったし、オンライン授業始める、とか。

 

仕事を辞めて、次男の復学も決まり、それに付き合うと決めて仕事を辞めてからは、徐々に明るい人生に戻りましたよね……。

 

最近の次男は精神保健福祉士さんの言う

その人らしい人生

を歩んでいると思います。

詳細はまた次のブログに書くとして。

 

出勤時、歩いていて、つくづく

あーあの道を自分はよく歩いたなあ……

いや、歩く力なんてなかったし、歩いてはなかったかもしれんけど……

ともかくあの時期を通り過ぎたよなあ……

脳裏には、ぼんやり眺めた「松本山雅サポーター」の応援の模様が去来します。

それって、今思えば笑えることのひとつなんですけどね。

( ̄▽ ̄)

次男の病気の始まりと「松本山雅サポの応援」は一体なんです。

コロナが始まったばっかで、声出し応援もOKだった頃だし。

 

で、そんなことをつらつら思い出しながら歩いていると

ミスチルの歌が。

 

いいことばかりではないさ

でも次の扉をノックしよう

 

という歌詞が、歌が浮かんできました。

 

ワタクシの現在地点。

それがこの歌詞ですね。

 

今日はここまで。

 

仔羊おばさん