前回、ざっくり次男坊が統合失調症と診断されるまでの状況を振り返って書きましたが、この病気はよくなったように見えても再発のおそれもあり、また再発率も高い病気です。
また、再発後は状態が悪化することが多いらしい。
で、「再発しないように」生活してくことが肝要になっていきます。
今、次男の通院は月に1度で、その時に薬の処方を受けます。
お医者さんの診察に何度か私も同行したことがありますが、お医者さんは「眠れてますか」などの質問をします。
それに本人が答える、というカタチで診察が進みます。
お医者さんは、そういう質問を通じて「話せるかどうか」「どれくらい話せるか」を診ています。
大学4年で卒業できず、1年休学してる間に失調症の診断を受けたんですが、本人は復学を希望してたので、それを目指していました。でも、1月くらいでもお医者さんは「反対」。
それは「話せてない」からでした。
統合失調症は文字通り「統合」がうまくいかなくなるので、長い文が話せなくなるし、次男の場合は反応速度もものすごく遅くなっていました。
普通の人の話す速度にはとても追いつかない。
ぼーっとしてる感じでした。
そして当然、本を読んでも情報の統合がうまくいってないので、「わからない」ということになるのです。
だからお医者さんからしたら「無理無理!」って感じだったんですね。
それでも何とか説き伏せて復学したのは、本人の意思と「治療を何のためにするのか」という目標が必要だったからです。
社会人なら「仕事への復帰」になるんですけど、次男坊の場合学生だったから「学生への復帰」を目指したわけです。
確かに復学して最初の半年くらいはほんと、話せてませんでした。
ぽつ……ぽつ……
でした。
ただ、授業はコロナの関係でオンラインが多く、それは我が家には幸いしました。
上京する時は私がついて行きました。
前期の単位がなんとか取れた頃から、ちょっと自信が出てきたのか、その後はだんだん話す力も回復していきました。
それでもほんとに「戻ってきたな」と思ったのはむしろ、卒論を何とか無事に書き上げ卒業できてからだと思います。
やっぱりそれまでは自信が持てない状態だったのかな。
最近はだいぶ話せますよ。
歴史の話とか、ウクライナとロシアの戦争の話とか。
治療の過程でものすごく印象に残ってる精神保健福祉士さんの言葉。
「我々は
その人がその人らしく生きる
ことをサポートしたいと考えています。」
あーそーか。そーだね。そーゆーのがいいよね。
私も、私らしく生きていれば、それが私の幸福だし。
次男坊も、次男坊らしく生きることができれば、それ以上のことはないんだ。
結構「目から鱗」でした。
次男坊は高校時代、止めても止めてもドラムの練習を止めませんでした。
うちはマンションでドラムセットもありません。
たった1個のゴム製の丸い、練習用の叩けるものを持ってるだけで、あとは座布団とかで代用して練習します。
マンションですから、それでも苦情がきました。
確かに病気になってから、そういう趣味もどっかに消えていましたが、最近はしょっちゅうレンタルスタジオに行って練習しています。
お金は主人が出していますね。
家ではさすがに苦情がくるような時間帯に叩くことはなく、それが高校時代と大人になった今の成長できたところかな。
でも、昔よく叩いていた和ダンスを再び次男坊が叩いた時、
あ。戻った。
( ̄ー ̄)
と、思いました。
何でもドラムスティックで叩く。
音楽を聞く。
音楽に合わせて叩く。
そういう姿を見て、ワタクシは「あーあいつらしい生活が戻ってきたな」と思っています。
昨日、次男坊に「あんたから見て、『お母さんらしい』ってどんな感じ?」と聞いてみました。
自分で「自分らしさ」って何かなと聞いてみたくなったんですね。
すると、
毎日やることは決まってるけど
実はものすごく自由
なんだそうです。
そう。確かにワタクシは自由を愛している。
と、答えました。
戦争のない平和な時には
その人らしく生きる
ことが許されているけど、戦争の悲劇はそれができなくなることだな。
とも思いました。
早く平和が訪れますように。
仔羊おばさん