ワタクシは今、上京してきている。
一つは久々に家族全員での食事。ちょっとだけ長男夫婦の結婚式の打ち合わせ。
次男は大学の卒業式に参加。
夫と次男は東京に残っている(!)荷物を整理(ほとんど破棄)。
ワタクシは……まあ、また後日書きますね。
ほぼ遊んでます。
(;^ω^)
ごめん。
夫や子供とは別行動で、子供の通ってた大学の近くの桜を見たりしながら人生のいろんな場面を噛みしめました。
子供を育てていて、忘れられないいくつかの場面があります。
次男を大阪から送り出す時、夜行バスの乗り場まで夫と送りました。
次男の部活仲間も来てくれていました。
当時の彼女(!)も。
その時の親の気持ち。
ちょっとはらはらしていた。
でも、ちょっと肩の荷が下りたような気持ちもあった。
その後次男が統合失調症になってからは、「どうして一人で生活するなんて選択をさせたんだろう」と、何度も後悔が自分を襲った。
その夜行バスの乗り場に行くと、なんとも言えず後悔の念が襲ってきたりした。
その「後悔」は痛かったし、ものすごく苦かった。
今は、その過去をくよくよ振り返ることはしない。
しないけど、人生に「もし」はないんだけど、それでも「もしも」と考える自分はいる。
そのちょっと後、引っ越しの整理を手伝うのと入学式に参加するのとで(コロナ禍の前だもん。親も出席できた)上京。
東京滞在が終わって、一人次男を残して私と夫は大阪に帰ったんだけど、その時のあの切ない気持ち。
寂しさ、不安、どんな言葉をもってしてもあの気持ちは表現しづらい。
ものすごい庶民的な大衆食堂みたいな居酒屋みたいなとこで別れたんだけど、その場面も気持ちも忘れることはない。
きっと子供も、寂しくて不安だったんだと思う。
それでもその気持ちを、自分の気持ちも子供の気持ちも振り切って去る時の親の気持ち。
たぶん子供にはわからないだろうな。
だって、自分が若かった時に「親の気持ち」なんて考えなかったもん。自分自身がそうだったから。
だけどもその時は6年後にこんなことになってるなんて想像もしなかった。
統合失調症になるとは思ってなかった。
だけでなく、こんな未来が待ってるとは思わなかった。
コロナもそうだし、私も何回か次男に付き合って上京するうち、東京にも詳しくなったし、東京にも「懐かしい」と思えるいくつかの場所ができた。
上野公園、朝焼けの風景。
枝垂れ(しだれ)桜。早朝でまだ暗いです。
子供を持つと、心配ばっかりで、心配だけで済んでるならそれもカワイイが、現実に辛さを味わうことも多い。
今は地震だって心配だし、ウクライナで戦争が起き、長期化の兆しをみせ、核がちらつくと、男の子の親としては「もしも」と思うとそれも心配だったりする。
でも、自分は「愛するもの」に出逢えて幸福なんだと昨日思った。
子供を一人残して帰る時のあの寂しいような辛いような悲しいような気持ち、
子供が統合失調症になって後悔した苦さ、もう時間は戻らないんだという悔しさ。
味わわなくて済むなら、その方がいいんだけど、それでもその気持ちに出逢えたのは
愛するものに出逢えたから。
それでいいのだ。
仔羊おばさん