10年前、上の子は高校生だった。今は社会人として働いて4年以上過ぎ、今年結婚した。
( ゚Д゚)
驚愕である!
子供は大人になり、私たち夫婦のもとを離れ、物理的に経済的に離れ、そして精神的にも離れていったのだ。
「巣立つ」とはそういうことだ。
下の子は10年前、中学生だった。
この子は大学4年の時に統合失調症を発症した。でもその頃はまだ私たち夫婦は子供が病気だとは思っていなかった。離れて住んでいたせいもあるが、変化は感じていた。病院に1度連れて行ったが、その時点では統合失調症の診断は出なかった。昨年1年は休学していた。この間に、また問題を起こし病院に再度連れて行って、「統合失調症」と診断が出た。この時点で我が家に出戻ってきた。
今年は大学に復学してほんのちょっと残った単位を取り、あとは卒論、というところにまでたどり着いた。
コロナ禍で授業がかなりオンラインになったので、大学の対面授業がすごく少なかったことは、うちにはありがたかった。
私自身は、それまで勤めていた大手の専門学校を辞めて、小さい日本語学校に転職したのが大きい変化だった。
でも、同じ業界だし、実際自分のやっている業務内容に変化はなかったから、「転職」というより「転校」みたいな感覚だった。
身分的には契約社員から正社員になったので、給料は上がるわ、ボーナスは出るわで収入は最初の年は落ち込んだが、その後は返って上昇した。
休みは1か月分ぐらい減少。
世の中、うまくできていますわね。
( ̄▽ ̄)
で、その正社員の職を、いろんな理由で辞めたのが2021年3月。
表向きは「子どもの病気」で通した。それも理由の一つであることは認めるが、一つでしかない。
ただ、転職したことは後悔していない。広い世間が見られたことは非常に役立った。
今回の退職も、「あーこんな世界があったんだー」と、視野が広がった。
仕事は、辞めてみるもんであるし、転職もしてみるもんである。
世界は、いろんな角度から眺めてみるもんである。
( ̄ー ̄)
と感じている。まだ子供の状況があり、就活はまだできていないが、やがて失業保険の受給延期をやめ、就活を再開した時点で失業保険をいただこうと思っている。
父が他界したのは2013年だった。これもこの10年で外せまい。
母はその後実家で一人暮らしをしていたが、今年ついにサ高住に入居し、私たちは実家をたたんだ。
これは、「この10年」でなく、「私の人生」でびっくりするような大きな出来事だ。
喪失感は、あるようなないような。
ほぼ毎週もとの実家のそばを通る。すぐにも取り壊されるかと思いきや、今のところ新しい持ち主さんがそのまま使ってくれているので、懐かしい姿はそのままだ。
同じ2013年に子宮筋腫の手術をした。
生理からの解放。貧血の治癒。これも人生の中での大きな出来事だ。
また、10年前はそこそこ更年期の症状が出ていたと思う。ホットフラッシュがかなりはっきりあった。今もあるけど当時に比べると大人しいもんである。ほんのちょっと「熱いかも」くらいだ。
糖尿病は悪化した。10年前は投薬だけだったけど今は毎食前のインシュリン注射。
下の子が進学で家を離れ、上の子が就職してしばらく「空の巣症候群」が辛かった。
その寂しい気持ちは「寂しい」などという一言で済ませられるようなカンタンなものではなかった。
自分の中心に本当にぽっかりと穴が開き、ことあるごとに家を出て行く上の子の姿が浮かんで、涙が出た。
その長男が今年めでたく伴侶に恵まれ、幸せそうにしている。
下の子は病気で出戻ってきて、本当だったら今頃は仕事して自立してたはず……だが、この子の病気がきっかけで仕事を辞める決意もできたし、精神障害についての理解も深まり、また自分自身の幅も広がったという気がする。
そう思うと、
あー子供がいてヨカッタ
(・∀・)
と、日々感謝するこのごろだ。
今、この雑記ブログでよもやまよもやま考えていることを書いている。
時々書いている、日本留学試験と日本語能力試験テーマについても、記述を続けようと思う。
で、更にプラスして「ワーキングマザー」「子育てと仕事」あたりをキーワードに自分のワーキングマザー時代を振り返ってみようとも考えている。