ここんとこ「幸福」というタイトルで書いています。
そりゃ、自分の幸福に気付ける状態であればそれでよろしい。
だけど人生、そう甘くもない。
そうは言っても、生き物としての限界にはもう、どうしようもないこともある。
ざっくり言っちゃえば「体調」というものには逆らえない。
あともう一つ「環境の激変」もどうしようもないけど、今日は「体調」について書いてみようと思います。
例えばワタクシは10代から51歳で子宮全摘手術を受けるまで、長きにわたり深刻な貧血持ちだった。
これは、生理(月経)によるものだったわけだが、生理というやつは
なくても問題だが、あっても問題なのだ!
(; ・`д・´)
男性にはよくわからない、と逃げるなかれ。
毎月1週間、だらだらと腕からちょっとずつ出血している状態を想像してください。
人にも時期にもよりますが、最初の3-4日はしっかり出てるカンジ、終わりに近づくにつれて出血は止まっていきます。
これが毎月ないし2か月に1度くらいはやってきます。半年ストップすることはさすがにまれです。
閉経して貧血が治ってはじめてワタクシもわかったんですが、なんと、これ、頭痛と深い関係がありました。
必ず生理日と一致するわけではないのですが、1-2か月に1回は結構な頭痛がしてました。
私は当時、「世の中の人はすべからく私と同じように頭痛の日があるに違いない」と思ってましたので、何とも思ってなかったのですが、今この頭痛もほぼない毎日を過ごしてみると
なんで?
なんで?
生理のない人と同じ条件で仕事の「目標数値」が設定されていたのか?
と、深い疑問がやってくる。
言っとくが、ワタクシは生理痛はあまりなく、出血に関してはおそらく一般よりは少なかったはずだ。
40代後半あたりから、子宮筋腫が大きくなって出血量が増してからは、問題は結構深刻になっていったのだと、今にして思えばわかるのだが、当時はそんなことは考えたこともなかった。
今は「成果主義」的な考えが職場に入ってきていて、ワタクシの職場でも「目標管理」なるものが導入されていた。
ものすごく解せない一つのことは、全く公平に専任教師全員に同様の目標数値が設定されていたことだ。
ただ、当時は世界中の人が自分と同じ条件で生きていると思っていたから、文句も浮かばなかった。
生理は女性だったら誰でもあるからね。
でも、子育て中とか、家に病人抱えてるとか、介護の必要あるとか、持病があるとか、そういう人が何のハンデもなしに同じ条件で競争してると考えると、
なんで?
なんで?
と、今、思う。
まあ、それでも異様に成績の良い年もあった。
でもそれは、職場のいろいろな人の力が合わさっての成績であって、そこに自分の努力と工夫がなかったとは言わないけど、まあ偶然の産物といってもいいようなもんだった。
どうせ目標数値なんてそんなもんやんな、って今は思う。
だってあんなに条件に恵まれてなかった自分が異様にいい数値を上げられるなんて、おかしい。自分の頑張りがなかったとは言わないけど、その時期だけしゃかりきに働いたわけでもないし。
そもそも子育て中は家でもいろいろ事件が起きるわけで、親もトシ取ってくればたまには問題も起こすわけで、その上体調がしばしば悪い、という自分が1人前に目標数値を追っていたーーというよりは「あてがわれ、それに基づいて評価されていた」。
そりゃ、「幸福」どころじゃなかったっすよ!
自分の幸福に目を向けろといっても、それどころではなかったな。
そして、閉経の時期を迎えるのだが、
更年期
というやつ!
イライラ。
不機嫌!
(。-`ω-)
夫から「更年期や」と言われると、それがまた癪にさわり!
あれも生物的な限界でした。
それも私は他の女性の話を聞くと、まあましなほうでしたが、常にイライラはしていました。
幸福感増し増しの今と比べるとですね。
更年期の頃は
風呂上り、裸でのこのこ出てくる夫を見て
もう! ちゃんと着替え持って行って脱衣所で服着たらええのに!
いくらなんでもちょっとは羞恥心持てや!
見苦しい!
今は
あーかわいそうにこんな痩せさらばえて……
(@_@。
くらい差がある💦
コロナ禍で、女性の自殺が増加していると聞きます。
深刻な問題です。
思うに、それって体調とも関係がある。
本人の努力だけで気持ちの落ち込みやら疲労感、うつうつとした気持ちをどうできるもんでもない時がある。
だから、そういう時には誰かのサポートがほしいけど、夫は頼りにならんしなあ。
( ̄ー ̄)
なぜなら夫も大変な人生を生きているからねえ。
可能ならば教えてあげたい。
閉経後、何年かしたら「黄金期」が来るよって。
何の努力もしなくてもちょっとほっとできる、ちょっと気持ち的に落ち着ける時期。
そういう時期がきたら、「幸福」にも目が向けられるようになるよ、と。
仔羊おばさん