私の実家はもうたたんだ。
人手に渡り、もう更地になって跡形もない。
それでも不思議なのだが、寂しいとかいう感情はあまり湧いてこない。
理由はたぶん、「実家」が私の心の中から消えてなくなることがないからだと思う。
そこには、両親とわれわれ兄弟がいて、柴犬が一匹、トラ猫が一匹。
もう十二分にあそこで過ごした。
いい思い出だけではない。
普通の家族なりに「修羅場」みたいなものもあったし、両親のケンカもあった。
私の青春もあったし。
庭や廊下や畳の部屋、それが私の記憶から抜け落ちることはない。
なんとなくいつも実家は心にある。
実際にそこに帰ることはもうないんだけど、不思議なもんで自分の心は自由自在にあそこに帰れる。
今、それが壊されて更地になったって別にちゃーんと私の心はあそこに帰ることができる。ものすごい不思議な感覚だ。
だから寂しくはない。
そう考えると「実家」ってもはや物質じゃないんだと思う。
自分の体にしっかりしみ込んでるものだ。
私の場合は父はもう他界している。母はその後実家に1人暮らしをしていたけど、2020年の春に心臓の手術をして、それから一人暮らしは無理になって今はサ高住に住んでいる。兄弟はそれぞれの場所にいる。
私は正直言って実家を畳むことに抵抗感があった。
できたら自分が買い取ってどうにかしたかったけど、でも、自分の経済力を越えていた。妹も弟もその気はなかった。
そんな私だったけど、実家を畳むにあたって片付けに行って、持ち帰るものは持ち帰って、その後実家は人手に渡り、更地になって、でも本当に寂しくはない。
むしろ、これからあの土地には何が建つんだろうとか、どう使われるのかなとか、今はわくわくした気持ちが芽生えている。
今は私の子供も育って、結婚した上の子にとって今の私のこの家が「実家」。
私自身が「実家の主(ぬし)」になったんだと思う。
LINEの正月用スタンプの中に「実家最高」ってのがあるんだけど、今は自分の家が実家で、私にとってここが最高の場所だ。
たぶん、私の子供にとってもここが「帰ってきて最高の場所」なんだと思う。
おいしいものもいっぱいあるしさ。
仔羊おばさん