最近、ジェンダーの問題をよくテレビ・新聞などで目にする。
日本の経済の活性化のためにもダイバーシティーは大切だから、女性が活躍する社会にしないといけないという。
ワタクシが大学生の頃、まだ「ジェンダー」という言葉はなく、
男女差別問題
とか、
婦人(女性)労働問題
母子家庭問題(「ひとり親世帯」とかあまり言わなかった)
などという言葉でそういう問題を表現していました。
実は、ワタクシの大学卒業時の論文のテーマは「婦人労働問題」だった。
まあ、男女差別に反対なのは言うまでもないことです。
でも、日本語学校のスピーチコンテストのテーマなどで、このジェンダーの問題を話す学生がいたりすると、ワタクシはかえって冷めていまして、どっちかというとジェンダーなんか
聞き飽きた!
というのが正直なところでした。
ですので、このブログでもジェンダーとか男女どうとか、そういうことを書きたいと思ったことはありません。
ではなぜ、今日に限って書く気になったかというと、それは、
次男がかかった「統合失調症」について書きたい、と思ったからで…。
え?
なんで?
それとジェンダーってカンケーある?
と、人からは思われるんでしょうけど…
ワタクシがこの3月で仕事を辞めた理由は、一つに絞れるものではなく、複合的なものです。
例えば「電通鬼十則のパクリ社訓」とかですね。
でも、この次男の統合失調症のことも大きい引き金になりました。
家族の病気で仕事を辞めるってことが
妻側が辞めるってことが
ジェンダーの問題の本質とはワタクシは思いません。
逆なんです。
↑ どう「逆」なのか後で書きますね。
今日は、ワーキングファーザー&マザーの問題を書きたいなと思います。
皆さんは「酒鬼薔薇」事件=神戸連続児童殺傷事件(1997)を覚えてらっしゃいますか?
殺された子供の首が校門に置かれたりした事件で、ものすごい衝撃が大きかったです。
1997年って阪神淡路大震災の2年後ですよ。
地域的にも近い所でこの事件は発生しました。
2人の子供が殺されました。
そう、震災の後、関西人はとっても多くの涙を流しました。人の命の尊さを、大人も子供も心に深く刻んで生きていました。
そんな中、14歳のまだ子供みたいな子が、小学生を次々殺すなんて、信じられない事件でした。
事件の直後、もちろん被害者の小学校で保護者対象の説明会が開かれました。
集まった父兄の足元がテレビ画面に映されたその時…。
ワタクシは、「ああ…日本はだめだ…」って思いました…。
なぜって……?
日本全国を震撼とさせるくらい、びっくりするような、
何年に1回あるかないかくらいの、
ショッキングな事件の直後なのに。
学校に集まっているのはお母さんたちばかり……。
夫婦そろって、じゃないの?
もちろんひとり親ならしかたないけどね。でもね。それにしてもね。
夜なのに。
昼間でもないのに。
例え昼間仕事があったって。その日も仕事だとしたって。
そんな日くらい職場に言って、早く帰宅して集会に参加するのが
(; ・`д・´)
男であれ女であれ当然のことではないの⁉
それが「親」なんじゃないの?
「社会」人ってさあ。仕事をしただけで社会人?
社会を支える者であるからこその「社会人」ではないの?
その時のワタクシの失望感は大きかった。
昨年、次男の統合失調症がわかった後も、ワタクシは仕事、仕事でほとんど病院にも付き添えなかった。
実際、仕事どころじゃないくせに、責任感から仕事を辞めなかった。
その間、ワタクシの主人が中心になって次男の病院に付き添い、次男の面倒をみていた。
ワタクシより主人の方がリモートワークも多く、定年退職したので、時間の融通がきいたためでした。
でも、病気発覚後半年、ワタクシのほうが会社にべったりで子供に付き添えなかった。
そう、それで仕事を辞めたんです。
妻側が辞めるべきという考えは持っていません。
今回、ワタクシが次男の世話を主として担っているのは、
母だからではありません!
親だからです!
最近、ジェンダーとか女性活躍とか言います。
ワーキングマザーどうこう…といういい方もあります。
でも、子供の問題だって家庭の問題だって、
学校のあれやこれや、地域のあれやこれや、
社会で果たすべき責任、親としての責任…
ワーキング・ファーザー&マザーの問題なんだと言いたいです。
家に居場所がなくて、仕事の後まっすぐ家に帰らないという生活を日々続けている人は「ワーカー」であって「ワーキング・ファーザー」ではない。
ちゃんと「ワーキング・ファーザー」が「ワーキング・ファーザー」として生活できるような仕事環境になった時に、ようやっと「ワーキング・マザー」も活躍できる職場になってるんじゃないかと……
今日は思った次第です。ハイ。
もう寝る…
仔羊おばさん