昨日、新聞を読んでいて、「生き辛い」という文字がとても印象に残りました。
私は、これまで行った海外と言えば台湾とアメリカだけです。ただ、日本語教師という仕事柄、世界のいろんな国から来た留学生と接してきました。
内戦の起こった地域からの留学生もいれば、貧しい国からの留学生もいました。
で、日本に生まれて日本で育ってて、この国で「生きづらい」なんて、本当はちょっとおかしいんです。だって、留学生たちはそんな「生きづらい」国にそれでも来たいと思ってくるわけですからね。
国トータルでみたら、日本って全然「生きづらい」国じゃないはずです。
でも、じゃあ、私自身が生きづらい経験をしたことがないのか?
と言えば、それはハッキリ「生きづらかった時」がありました。
そしてそれは、家庭で、学校で、職場で…広くみて社会的にも…
で、今日から何回かに分けて、「自分が生きづらさを感じた体験」について書いてみようと思っています。ちょっとは仕事とか転職とかに関係もあるし。
これはブログなので、私自身が実際に体験したものを書いていきますね。
今日、一回目は「思春期」です。
小学校6年くらいだったかな。中学時代かな。高校かな。
私は精神的に荒れていました。
親に何かとタテをつき、家庭に居場所を見つけにくかった。とにかく家にいたくなくて、朝ものすごく早く学校に行ってました。
帰りも、部活終わってまっすぐ帰ったのなんてほとんどなかったですよ。
今思い起こしたら、別にそう悪い親でもなかったし、何がそんなに不満だったのかと思います。
でも、命令しかしない父親はとことん嫌でした。
部活を批判されたら、母も嫌でした。
ともかく、なんてーか、嫌だったんです。
爪を噛む癖はなかったけど、ささくれをむく癖があって、指はぼろぼろでした。よく流血してました。(実は今でもこの癖は抜けず、しょっちゅう流血している)
あと、自殺願望もありました。
校舎の窓から下を見て「今なら死ねる」って、何回も思った。
(こっちのほうも大阪で行われた「世界陸上」でリレーを見るまでかなり長く続きました。40代の終わりごろかな。その後はあんまり自殺願望は出てこなくなりました。ほっ)
10代半ば、自分を大事に考えるってこともできなくて「売春してやる」と思ってました。なんか、めっちゃお金がほしかったんですね。
でも、結局そういう、いわゆる「非行」に走らなかったのは、私自身は家庭に居場所を見いだせてなかったけど、でも家庭にはやっぱり居場所があったから、なんでしょうね。
あと、究極、そんな勇気もなかったんですよ。
友達にそういう子がいなかったのも大きい。
結局、偶然の産物です、非行に走らなかったのは。
だけどとんがって、とんがって、ほんとに嫌な子供だっただろうな。
自殺しなかったのも、勇気がなかったからだと思う。
そう思うと、思春期を乗り切って、今まで生きてるのって
偶然というか、神の奇跡というか。
ありがとう。
でも、ほんと、今思うと、なんでそう悪い親でもないのに、そういやな家庭でもなかったのに、あんなだったのか…
考えたら、「思春期」という結論に至るのです。
生き物として、すごい不安定な時期だったんだと思います。
それに、私の精神傾向は、人を傷つける方向に向かわずに、「自傷」の傾向に向かうのです。
それに気が付いたのは20代も半ばの頃でした。
今は、把握できてるので、指がぼろぼろになっても「あーそーか」くらいです。
でも、よく気がつく学生が私の指を見ては心配してくれます。
「先生、指どうしたんですか?」
「先生、大丈夫ですか?」
ありがたいことです。
(T_T)
洗い物で手荒れだよとか答えるけど、実はストレスなんだよーん。
(;^ω^)
感謝、感謝。
今日撮ったお花の写真です。
仔羊おばさん