50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

ある日、道を曲がったら

先日、例によって散歩に出ていました。

そこで曲がったことのない角を曲がった時のことです。

あじさいの花が咲いているのを見つけました。

角を曲がらないとそれは見つけられなかったんですよ。

 

さて、統合失調症を患っている次男の近況です。

昨年、2023年秋、息子の容体は急変し再発。

統合失調症の症状で顕著なのは幻聴や幻覚や妄想、とのことなのですが、三つとも当人の知覚によるものですから、ワタクシがそばで見ていてもよくはわかりません。

では、何がおかしくなったのかというと、最初は話が変なことになりました。

食事の時にニュースについて話したりするじゃないですか。

その話が決めつけが過ぎるというか、とんちんかんなんです。

とはいえです……。

「話がとんちんかん」は、症状が顕著じゃなくてもきゃつの話はいつもとんちんかんなんです。

26歳ですけど社会人経験ありませんし、

稼ぐー稼いだ範囲内で暮らすーというごくごく一般的な感覚も育っていません。

それは親のせいだろう、と言われればぐうの音も出ないことなのですが、実際、彼は大学卒業してからも病気でリハビリ中は、働かないで食べてくことができています。

私と夫が食べさせてます。

障害の程度は「3」であるため、障碍者年金はもらってなくて、稼ぎなしで親に食べさせてもらっているのが何年も続いていますから、親が生きてさえいればなんとかなる。

で、いわゆる「常識」育ってませんため、話がとんちんかんなことはよくあるのです。

あるいは、やはり病気のため認知機能が落ちているというのもあるかもしれません。

ともかく、秋には

発火性のあるものを流してしまったから警察に行かないといけない

とか

昔やった悪事がばれるから警察がやってくる

とか言って涙を流すようになり、これはいよいよおかしいということで「入院」というのがちらつき始めました。

で、詳細割愛しますが、入院ー年末に退院。

でも、退院しても

誰もいないくらがりで謎のお辞儀をする。

食事にやたら時間がかかる。

ほっとくと1時間くらいシャワーを浴びてたりする。

食事中何やらつぶやいている。どうも食べる順を誰かと話しているらしい。

とにかく外をほっつき歩く。

通販で服を買っては返品、を繰り返す。

返品にもやたら時間がかかる。物事を決められない。

そんなこんなで1月2月はまだ、ワタクシは地獄を見ていました。

自分自身の心の中に闇があって、その闇を見てた、というのが正しいかもしれません。

天我に味方せず。

天に見放された気分で辛かったワタクシは、病院の方はじめ、あらゆる昔の友人、仕事仲間など会う人連絡取る人誰彼構わずS.O.Sを発しました。

薬の量も増えに増え、でも改善せず。

2月でしたか3月でしたか。

症状が改善しないんで、主治医が「薬を変える」とおっしゃって薬が変わりました。

もちろん精神科のお薬ですから急に全部は変わりません。

徐々に徐々に変えていくのです。

ちょっと変えて一週間二週間、またちょっと変えて二週間、またちょっと変えて……みたいな。

 

その薬が功を奏し、春から徐々に回復。

謎の食事迷い、謎の暗がりお辞儀、涙の過去の罪告白、デイケア近くまでいっても入室できない問題、あらゆる出入り口で長時間躊躇する、出て入って出て入ってする、朝昼晩、外を徘徊して食事だけ戻ってくる、通販ポチるー要る要らんがわからんー返品迷うー返品したり返品期限過ぎたりいろいろー、なんか、列挙したらいっぱいあったなあ。

そういや外食しようと吉野家で注文したら食べられなくなって家に救助を求める電話もかかってきたりした。

 

そんな症状も消えていきました。

春、4月からはリハビリに行けるようになってきました。

最初は送り迎えしてたけど、そのうち要らなくなりました。

5月からは就労移行支援に週1,2回行くようになっています。

ほかの日は精神科のリハビリ。

 

安定した今の状況はうれしいですけど、全然安心はできません。

話はやっぱりとんちんかんちんですねえ。

( ̄ー ̄)

あと、秋に悪化したように思うので、次の秋冬を超えられるかと心配です。

でも、子供は親を心配させるためにいるようなもんですから。

それはしかたないのよね。

 

まあ、そんなこんなです。

 

確かに病気も事故も遭わないにこしたことないし、できれば自分も健康でいられればそれも望ましいことです。

そのうえでお金にも恵まれていれば幸福この上ないのかもしれません。

何にも増して、自分の心の中の闇を、可能なら見ずに日々を過ごせればそれもいいことです。

 

だけども、そういった経験をしたからこそ見られた風景もあったのです。

道を曲がってアジサイの花を見た時、そういったことを思いました。

 

仔羊おばさん