50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

達観すると「踏まれる経験も貴重」と思うようになる②雇用機会均等法前もそれなりに平等だったという理由

前回は雇用機会均等法施行、就職課の求人票に押された「女子可」の判を見て

こりゃー差別だろう

と感じた話を中心に書きました。

今日は、いやでもそれはこういう合理的で差別とも言えない理由もあったんだよ、という観点で書きます。

でないと戦後の日本国憲法を日本人がガン無視してた、ってことになっちゃいます。

いやいや戦後日本人は、それなりに平等を実現して生活してた、ってことは書いておかないと片手落ちになっちゃう気がしますので。

( ̄ー ̄)

 

自分の実体験をもとに書きます。

ワタクシは「こんな日本社会を変えるんだー」

「定年まで働くぞー」

「経済的基盤をしっかり持った女性になるぞー」

と考えて就活をし、男女の給料格差もなく、かつ学歴による給料格差もない、という立派な企業に就職を果たしました。

猫 就職 に対する画像結果

ワタクシの就職年は1984年。

雇用機会均等法は施行前でしたけど、施行することは決まっていました。

「男女の給料格差なし=初任給一緒」は、それでもそこそこ存在し始めていました。

ワタクシの就職の2年前くらいからスーパーや百貨店のような販売系の会社が大卒女子の雇用を始めていました。

2、3人から始まって20人、30人と増えていっていました。

前回も書きましたが、東証一部上場企業の多く&一般的な企業においては、女性は短大卒を普通は募集していて、四大卒はあまり歓迎されていませんでした。

女性の職種として、有能とかそういうのは求められていなかったと言え、基本的に高卒、短大卒を募集していたのです。

だから大学進学を志望する女性も少なかったし、女の子にそれだけの学費を出そう、って親も少なかったのです。

だって親にしても学費を出したところでその学費投資に見合った就職を望むと、その結論は「短大に行け」「専門学校に行け」になったわけですから。

ちなみに男性は大学、専門学校に行かないならば高卒で働く時代でしたから、賢い女の子が短大に行かせてもらえるなら、それで十分に高学歴だったとも言えます。

だから「短大進学」は悪くはなかったんですよ。それだけ親に学費を出してもらえて勉強もできたわけなんで。

だけど「学歴による給料格差がない」企業はまったく珍しく、高卒と専門学校卒と短大卒と大卒とでは給与格差があって当たり前でした。

ワタクシの就職した企業は、ですから、すんごい珍しい「格差なし企業」だったといえます。

仕組みとしては、高卒の初任給は高めに設定されていて、その高卒たちが短大卒専門学校卒の就職する年齢になると短大卒専門学校卒の初任給と同じ給与額になる。

そしてまた彼らが勤め続けて大卒の社員が新入社員として入社してくる年齢に達すると、大卒初任給と同じ給与になっている……。

まあ、年齢給というのが近しいですけど、浪人して大学に入学して4年過ごす学生もいるので、純粋に年齢給とも言えません。

ともかく、学歴格差もない、なかなか素晴らしい給与体系の会社でした。

 

ワタクシはそこで、頑張って働きました。

小売業です。そういう業態だから学歴も何も関係なかったともいえます。

ワタクシの所属先は男性社員が大体20人くらいいて、女性社員は5人でした。1年上の先輩が二人、ワタクシと同期が3人。

男性社員は店長は40代かな。主任は3人いて30~40代、その他の社員も大体20~30代でした。男性社員は年齢がばらけていますが、女子社員のみそんな若かったのは、それまでは女子社員は雇用してなかったからです。

それに雇用しても結婚したら辞めるのが普通だったし……。

ワタクシはすごい頑張ったんで、同じ店の女性社員の中では2年目には売り上げNo.1くらいになれました。

でもです。

その2年目に現実を知ります。

2年目には大卒の新入社員が配属されてきました。男性でした。

当初は慣れない感じで彼の売り上げは私より低かったですが、半年くらいで追い抜かれました。

高卒の新入社員(男子)の売り上げも、私を追い抜いていきました。

私が負けていたのは何だったのか。

商品知識は2年目のワタクシのほうが上です。当然です。

では、なぜ?

それは「世の中からの信頼感」でした。

ワタクシの売り場はビジネスコンピュータ中心の売り場で、商品価格も20万円以上のものが中心でした。

ワタクシは愕然としました。

女性、というだけでお客さんはそれなりの大金を預けてはくれない。

逆に言うと、高額な買い物は信頼できる男性社員から買いたい、という現実です。

( ̄ー ̄)

各店舗の各人の売り上げを見たりしても、その傾向ははっきりしていました。

女子社員の売り上げは男性社員の売り上げよりはるかに低い……のが普通。

 

もちろん、当時でも「スーパー女子」はいました。

私の勤めてた企業にはいませんでしたけど、他社と共同で行った頒布会的な催しでは、売上額がダントツに高い女性も(名前が発表されるのでわかるのです)いらっしゃいました。

その「売り上げ額」という数字からいえば

「女子可」の判も納得せざるをえませんでした。

そう。

有能な女子

ならば、凡な男性を凌駕できるのでほしい。

だけども、凡な女子なら凡な男子に成績的に負けるので、そういうのはいらない。

ということです。

合理的だし、成果主義的な発想だともいえますね。

 

まあ例えて言えば、池江璃花子選手や大橋悠依選手なら、大抵の男子よりぶっちぎりで速い!

北口榛花選手ほど槍を遠くに投げられる男性はそうそうはいない!

で、彼女らのレベルほどではないにしても、全国大会に出場してくるくらいの女子選手なら男子にはまったく負けない。

でも、凡な女子と凡な男子なら、男子のほうが泳ぐのも大体速いし、槍も遠くに投げられる……。

ということなんです。

だから、当時女性を人材として活用しようという発想がなかったのは当然とも言えますね。

実力主義で見るならば男性が上で女性が下、という……。

だって企業も儲けたいですからね。

儲からない選択をしないのは当然です。

 

現実社会の厚い壁。

でも、たぶん高額な買い物とか社員に求める信頼感とか、実際自分の中にもあったと思うんですよ。

例えば不動産を買うなら男性社員の方を信頼する、みたいな気分……。

はい。当時の自分の中にもあったと思う。

で、ワタクシは思いました。

あかん。

この土俵で勝負しても勝負にならん。

と……。

 

仔羊おばさん