先週末、専門学校勤務(日本語教師)時代の同僚と久々にお会いしました。
彼女はワタクシより一回りくらい年下の働き盛りです。
今は非常勤講師として日本語学校で働いている。
お子さんが1人いて、人生悩んでいるという。
あ、こりゃ専任の打診をされたな、とピンときました。
優秀な先生だったもんなあ。
( ̄ー ̄)
「優秀」という言葉ではとても言えませんよ。
世の中には、教師となるべく生まれてきた人がいて、彼女はその中の一人。
たぶんどこの日本語学校でも彼女のように適確に教えられる先生ってほしいと思うだろうなあ。
で、結果、案の定そういうことでした。
が、彼女の苦しみはその学校からの申し出を断った後の
悶々
でした。
お子さんが帰る時間には家にいたい。
でも、自分の承認欲求を満たすには給与も必要。
今は夫の扶養の範囲内で損しない働き方を選択してるけど、可能なら厚生年金に自分で加入したいし。
おお。
典型的な悩みですな。
ワタクシはほぼずっと正社員や専任を続行してきた人間だから、ワタクシにその悩みを話す時点で彼女の本音は……そうだよね。
やっぱりやりたかったんだな。
どんな生き方が得をするのか。
どんな生き方が損をするのか。
どんな生き方が自分は満足なのか。
どんな生き方が幸福なのか。
おおむね上記4つの軸が、ワーキングマザーは一致しないことがある。
彼女もそうで、子供との時間を大切にしたい。
でも、自分のキャリアも追いかけたい。
「必要」を考えたら夫は収入が十分にあり、その扶養の範囲内で働くのが最もお得な生き方と思われる。
ワタクシなんかはそこで「夫はあてにできないことが多々ある」だと、俄然自分が
働かないと!
(; ・`д・´)
ってことになるんだけど。
だけど、それが幸せにつながったかというと、それは少々の疑問が残る。
一度も子供の文化祭、見に行けなかったもん……。
今も後悔してるもん……。
母の生き方はこっちに行ってもあっちに行ってもどっかに禍根が残っちゃうんだなあ……。
難しいです。
でも、今こうして自分が還暦越えると、全てのことは過去になり、もう変えることができないなら、
自分の選択は最善だった
と、考えるんですよね。
全ては過去になり、過去が今の自分を作っています。
そして、今自分は幸福だと思うから、ワタクシはできることはやったかな、と。
しかしそれにしても悩ましい女性の進路選択です。
仔羊おばさん