上司、という存在は仕事を辞めたくなる、あるいは続けていくのに大切な存在。
私自身は返す返すも上司に恵まれてきたと思う。
今日は、前職の最初の上司に久々に会って、おしゃべりを楽しんできた。
この上司とは、10年以上一緒に仕事をした、と記憶している。
私が専任教員で、彼女は主任だった。
その後、この主任は「もしかして左遷?あるいはとりあえずこの職場から出されたの?」という人事で私のいる部署を離れた。
そして、私はその後3年ほどかな。勤めたけど、結局転職して今に至る。
今日は「私にとってのよい上司」について書きたい。
私にとってのよい上司
ことあるごとに話を聞いてくれた
そう。何かにつけてよく私の意見とか考えを聞いてくれた。
授業見学の後で。
人事に関することで。
もちろん評価の時もね。
給料決定の時。昇給の説明の時。その他、私のほうから仕事の報告とか相談したりした時。
私の家族の状況もよく聞いてくれた
当時は子どももまだ小学生から中学生にかけての時期で、私はかなり大変だった。親も衰えてきて、父が入院したり母が入院したり、そういうことも仕事への影響があったから、私も彼女にいちいち報告してた。
彼女は心に余裕のある人で、結婚してなくても私にやっかんだりしなかったし、子供の話もよく聞いてくれたな。親御さんの介護を抱えて働いてらっしゃったので、親の話はほんと心から同情して聞いてくれた。とてもありがたかった。
私にとって子育てや親の入退院は、仕事には足かせというか、ある意味ハンディキャップとなっていたところだったから、そこを聞いてくれたのはありがたかった。
そして、そういうことを聞いても、私を職場の中心から放さずに蚊帳の外に置かずに仕事をさせてくれた。
大変だったけど、それは今、私の大きな財産になっている。
部下の幸せを望んでくれた
一緒に10年働いていて、じゃあ、彼女が100点満点の上司だったか?というと、そうではない。
彼女に対して、私に全く不満がなかったわけじゃない。
小さいことでも、「えーそれはないんじゃないの?」って思ったことも1度や2度じゃなかった。きっと、私も満点の部下じゃなかっただろうし。
でも、彼女が私のいる部署を離れても、時々会って話したい、と私が思ったのは彼女だった。
転職しても、こうして会っているし、私はこれからも彼女には会って話したいと思う。
それは何でかって言ったら、きっと、彼女は私の幸福を最優先に考えてくれた上司だったからだと思う。
上司でも、「社員の生活より職場の仕事最優先」だったり、「自分の指示通りにやるか」「文字通り成果主義」「自分のこだわりを押し通すことにこだわる」方も多い。実際、日本の会社が追い求めているのは利益であり成果であるから、それが正しい上司なのだろう。
でも、どうなんでしょう?
社員一人一人に幸福感がなかったら、一体、仕事って何?
どんなに成果が上がっても、個人個人が「ちっとも幸せじゃなく苦痛」だったら、そんな会社・仕事って本当にやる価値ある?
私は彼女と働いてきたせいか、今の部下に対しても、個人の幸福を犠牲にしてまで働いてほしいと思わない。
それで成果が上がったとして、胸は張れないし、むしろ私は後ろめたい。
甘いかな?
学生にしてもそう。
試験に合格しても、日本語が上手になっても、学生が幸せじゃなかったら、何のための日本語教育かわからない!
(; ・`д・´)マジ
今日は、いい一日だった。
なでしこのサッカー見に行った。
お客さん、たった2.111人。
なでしこは世界レベルなのに。
席は前から二番目。
2チームの実力差はあって、4-0で神戸の勝利。
もうすぐ女子のワールドカップ。
仔羊おばさんはなでしこのサポーターだよ!
仔羊おばさん