50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

心で贈った表彰状

今週のお題「表彰状」

 

 仕事柄(日本語教師)、表彰状はもらうよりもっぱら授与することのほうが多い。

 専門学校では2年在籍で「専門士」という資格が授与されるので、授与する者としてもなかなか晴れがましい気持ちになるものです。

 でも、最も素晴らしい記憶は「2年間皆勤」の表彰です。2年間無遅刻無欠席。ほんとに偉いな、と心から賞賛。教師にとって、一番の学生からの贈り物は、やっぱ出席、なのですよ。

 学生が教室に座っていてくれること。

 体調崩さずにいてくれること。

  それが教師にとっての一番の幸せなのです。

 

 そんな私が、自分で自分に贈った表彰状があります。

 それは、子供の弁当作りが終わる日のことです。

 私には子供が二人おるのですが、二人とも小、中と中華学校に通っておりまして、給食はなかったのです。そこから学校がある日は大体五時か五時半くらいに起きての弁当作りの日々が始まりました。

 別に特別なものなんか作りゃしません。

 多かったのはチャーハン。卵でつくったり、ウインナーで作ったり、安い食材ばっか。あとはねぎか玉ねぎか、ニラ。

 失敗作は、ブロッコリーの花が弁当の中で咲いちゃったやつですかね。昼、開けたら黄色い花が咲いてて、気色悪くて食えんかったと言ってました。

 汁漏れもそこそこありましたね。弁当あるあるですね。詰めた時には汁はないのに、なぜだか昼には汁が出てて、カバンの中が大変なことになるのです。

 会心作はもう覚えていないし、子供二人分で精いっぱいで自分の分は作ってなかった。味見もしてなかったので、味は私はあんまり知りません。

 小1から始まって、まず上の子が高校卒業…

 あーこれ最後やねんなー、と思ったその時、

「〇〇〇子、あなたは雨の日も晴れの日も子供のお弁当を作り続けたので、これを表します…」心の中で、自分に贈りました。誰もまだ起き出してきてない、朝のことです。

そこで、12年。

 下の子の弁当作りはその後3年間続きました。一人分なんてお茶の子さいさいです。なんか、自分の分は結局作らず、自分はたいていコンビニ弁当でしたねー。

 上の子が順調に育ったんで、ゲンをかついで兄貴の弁当箱を下の子に使いました。フタのゴムが結構伸びたなー。

 12年やったことだから3年なんて屁の河童!

 あっチュー間に15年経過。

「〇〇〇子、あなたは仕事でしんどい日もまあまあな日も…」と続けました。

 主婦業なんてこんなもんで、何年続けようが誰も何も、何の賞賛にも表彰にもありつけはせんのです。

 でもほんまに、自分で自分に心で贈りました。

 

 子供は自立して巣立つのが親孝行なわけですから、この弁当の恩も忘れ(花咲いた不気味なブロッコリーだけ記憶に残る)、独り立ちして母より嫁に夢中になるんでしょう。

 くっそお!

 でもそれが親にとっての勲章なんでしょう。