50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

働けど働けど…

特に20代で、収入の少なかった時に

朝起きてじっと手を見る。

昼間ごろっと寝っ転がっていてもじっと手を見る。

みたいなことをやっていた。

 

働けど働けど我が暮らし楽にならずじっと手を見る

という石川啄木の詩はその当時知らなかったと思う。

けど、無意識に手を見ていたから、一度「チコちゃん」に聞いてみたいくらい。

でも、当時の心境は今もよく覚えている。

友達に野菜を分けてもらったり

職場に置いてあるお菓子やカステラが朝ごはんだったりした。

その頃は非常勤講師だったんですね。

春休みとか、先生どうするんですか?って学生に聞かれて「バイト」って答えたら、学生もドン引きしてたな。

でも、そうやって生活してたし、そうやって日本語教師の技術を見につけてきた。

 

石川啄木の詩は

正しくは

働けど働けど猶我が生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る

 

今は、

そういう切羽詰まった苦しさはなくなったから、感謝すべきだね。

 

でも、別の意味で「じっと手を見たい」気持ちが芽生えてきている。

それは、

自分って、二流、三流、四流の人間なんだなあ…

と、思うことのむなしさ。

 

どうしても考えてしまう。

 

大きいお金は稼がなかった。稼げなかった。

 

この業界で、功成り名遂げたわけでもない。

教科書の出版経験もない。

誰かから尊敬される存在でもない。

 

そうなりたかったんですか?

と聞かれたら、やっぱりそうなりたかった気持ちはある。

( ̄ー ̄)

 

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子供を育てながら働いて、その生活だけで手いっぱいで、上昇志向がなかった頃もあった。その頃結構重宝されて充実感も持ったけど、忙しすぎて辛さばっかり先立っていた。

成果もあがったけど、そんなだから自分の力とは思ってなかったし、思えなかった。

自分は両立だけで精いっぱいだったから。

特に成果を追い求めてこんな努力しました、とか、

こんな工夫をしました、とか言える感じじゃなかった。

もちろん、工夫はしたんですよ。

がんばりもしたんですよ。

歯を食いしばって働きました。

家庭のほうも、朝5時くらいに起きての弁当作りは15年くらい続いた。

子供が帰って来なかった日は夜探し回ったりもした。

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親の入退院

自分の病気

いろいろあったな。

こんな、一行で書いてしまえるほど、実際はカンタンな毎日じゃなく、そーだね。

昼はみんなと同じに働いて、夜子供が熱出したら救急病院に連れて行ったりさ。

連れて行けるだけ日本は恵まれていると言えばそうなんだけど。

 

すみません。

自分は恵まれているのだとは思うんです。

仕事に恵まれたし

子供にも夫にも恵まれたのよ。

 

それでも

むなしい…。

そんな気持ちで、今は「ぢっと手を見る」そんな気分なんです。

 

仕事って自分のやりたいことばっかじゃなく、やりたくない、逃げ出したいような業務が連続することも多いし。

「こんなん雇用契約にない!」って思うようなことも現実には起きてくるし。

 

そうやって

歩いて

歩いて

今日やもんな。

 

すみません、今日はネガティブ・モード。

<(_ _)>

 

仔羊おばさん