特に20代で、収入の少なかった時に
朝起きてじっと手を見る。
昼間ごろっと寝っ転がっていてもじっと手を見る。
みたいなことをやっていた。
働けど働けど我が暮らし楽にならずじっと手を見る
という石川啄木の詩はその当時知らなかったと思う。
けど、無意識に手を見ていたから、一度「チコちゃん」に聞いてみたいくらい。
でも、当時の心境は今もよく覚えている。
友達に野菜を分けてもらったり
職場に置いてあるお菓子やカステラが朝ごはんだったりした。
その頃は非常勤講師だったんですね。
春休みとか、先生どうするんですか?って学生に聞かれて「バイト」って答えたら、学生もドン引きしてたな。
でも、そうやって生活してたし、そうやって日本語教師の技術を見につけてきた。
石川啄木の詩は
正しくは
働けど働けど猶我が生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る
今は、
そういう切羽詰まった苦しさはなくなったから、感謝すべきだね。
でも、別の意味で「じっと手を見たい」気持ちが芽生えてきている。
それは、
自分って、二流、三流、四流の人間なんだなあ…
と、思うことのむなしさ。
どうしても考えてしまう。
大きいお金は稼がなかった。稼げなかった。
この業界で、功成り名遂げたわけでもない。
教科書の出版経験もない。
誰かから尊敬される存在でもない。
そうなりたかったんですか?
と聞かれたら、やっぱりそうなりたかった気持ちはある。
( ̄ー ̄)
子供を育てながら働いて、その生活だけで手いっぱいで、上昇志向がなかった頃もあった。その頃結構重宝されて充実感も持ったけど、忙しすぎて辛さばっかり先立っていた。
成果もあがったけど、そんなだから自分の力とは思ってなかったし、思えなかった。
自分は両立だけで精いっぱいだったから。
特に成果を追い求めてこんな努力しました、とか、
こんな工夫をしました、とか言える感じじゃなかった。
もちろん、工夫はしたんですよ。
がんばりもしたんですよ。
歯を食いしばって働きました。
家庭のほうも、朝5時くらいに起きての弁当作りは15年くらい続いた。
子供が帰って来なかった日は夜探し回ったりもした。
親の入退院
自分の病気
いろいろあったな。
こんな、一行で書いてしまえるほど、実際はカンタンな毎日じゃなく、そーだね。
昼はみんなと同じに働いて、夜子供が熱出したら救急病院に連れて行ったりさ。
連れて行けるだけ日本は恵まれていると言えばそうなんだけど。
すみません。
自分は恵まれているのだとは思うんです。
仕事に恵まれたし
子供にも夫にも恵まれたのよ。
それでも
むなしい…。
そんな気持ちで、今は「ぢっと手を見る」そんな気分なんです。
仕事って自分のやりたいことばっかじゃなく、やりたくない、逃げ出したいような業務が連続することも多いし。
「こんなん雇用契約にない!」って思うようなことも現実には起きてくるし。
そうやって
歩いて
歩いて
今日やもんな。
すみません、今日はネガティブ・モード。
<(_ _)>
仔羊おばさん