20代、30代、同窓会で集まった時、「あの頃(高校時代)、先生が『今はいちばんきれいな時。別に化粧もする何もせんでも十分きれいなんやから、そんなもんせんでええ』って言うてはったけど、ほんまにそうやったなあ」という話をしたものです。
10代の私たちは背伸びがしたくて、化粧に一番興味があったりしたし、ませてるコは化粧してたりしましたから。
今朝、目が覚めようとする時、小学校の先生がおっしゃってたことをおぼろげながら思い出しました。
「盲腸は何もしてないように見えるけど大事な器官なんだよ」というようなメッセージだったと思います。確か、「続木先生」だったかなあ…。今はもう名前ですらもうろ覚え…。ほかにも、先生のお母さんがぼけて(「認知症」って言葉は小学生には通じなかった)、自分のこともわかってくれなくなったって話も、とても鮮明に覚えています。
とすると、当時、先生は40代か50代だったのかな。
「盲腸の話」で、先生が言いたかったこと…。
あれは昨年のことでしたか。それとも一昨年のことでしたか。
重度障がい者の施設に元職員が入り込み、多くの入所者の方を殺す、という悲惨な事件がありました。
先生が伝えたかったこと。
「このクラスで、まったく役に立ってないように思える子も、一人一人大事な存在なんだよ」
「世の中に貢献してないように見える命も、命として大事なんだよ」
そういうことだったのかな。
小さい時に、親や先生に教わったこと。
何年も何年も経って、ようやくそのメッセージが伝わってくる時がある。
私が身を置く教育業界にも、「成果主義」が入り込んできている。
例えば、何人名門大学に入れた、とか、「就職率100%」とか。日本語の業界でも、日本語能力試験にどのくらい合格させたか、とか。
前職では、上司の上司から「プロとは何か、って、プロは結果が求められるものなんだ」とも言われていたなあ。
もちろん、就職に不安がある専門学校は選ばれないし、私の今いる学校も、「いい学生を集めたい」と思えば、日能試合格を出すのは必須条件。
「成果を出すのが良い講師、良い先生」
それはそうなんでしょうが。
そうたいした成果の出せない、平凡な教師であるから、そう思うだけなのかもしれないが。
先生が教えてくれたことって、すぐにその場ではわからなくて、何年も経ってから、ようやくわかることもある。
「教育」ってそんなもの。
小学校4年生の私たちに先生が投げたボールは、50代の今朝、ようやく私のミットに収まった。
そう「成果」「成果」って言わなくても。
仔羊