50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

万博思い出話②一張羅(いっちょうら)の膝のところにです……

大阪・関西万博が始まりました!

今日は1970年大阪万博に行った時の思い出第二弾を書きます。

ちょっとほのぼのなのよ。

!(^^)!

当時ワタクシは8歳。

一張羅(いっちょうら)

を着て行ったのです!

なぜか?

豊かな時代の日本(主に平成以降)で育った皆さんのために、少し説明が必要です。

1970年当時、ワタクシの育った「日本」には

カジュアルファッション

という概念も言葉もありませんでした。

ジーンズ

もまだありませんでした。

少なくともワタクシの周囲にはそんなものありませんでした。

あったのは

普段着

よそゆき

でした。

普段着は、学校に行くとき及び近所で遊ぶときに着用する服装のことで、「よそゆき」あるいは「よそいき」と呼ばれる服は、文字通り「よそ」に「行く」時の服のこと。

ワタクシがこのブログで「一張羅(いっちょうら)」と呼んでいる服のことです。

なぜなら「よそゆき」を2着以上持ってるなんてことはあんまりなかったからです。

もう一つ付け加えるなら、昨今の子供のように、服をたくさん持ってるということはなく(=買える家庭は少なく)、普段着で2-3着、よそいきは1着がワタクシの周囲の平均値であったかと記憶します。

もう一つ言っておかないといけないな、「子供向けのブランドもの」も影も形もなく(すみません、少なくともワタクシのいた地域で学校で、見渡す限りなかったです)、サンリオのキャラクターものを始めて見たのが10~12歳くらいの時のことでした。70年代後半だったかな。1970万博当時はまだそんなもんはワタクシの目の届く範囲には存在していませんでした。

「グラタン」を最初に食べたのがやっぱ10歳くらいで、ピザの出現は15、16歳くらいだったかなあ。

大阪出身ですから、それでも日本の大部分の地域よりは早かったくらいだと思いますけど……

まあ、そんなこんなです。

万博は「よそ」なんで、よそ行きを着ていくわけです。

なんなら、万博に行くからこそ、「お出かけをする」からこそ、「よそ行き」を買ってもらえるのであって、そうでなければハナからそんなもんはいらん。そんな時代でした。

( ̄ー ̄)

わかる?

 

で、万博に行った当日、ワタクシは「一張羅」を着とったわけです。

紺色とアイボリーのツートンカラーのワンピースでした。

なんで今でも覚えてるかと言うと、その日の夜、事件が起こったからです💦

 

実際、昼間の間にどこのパビリオンに行ったのかはよく覚えていません。

でも、夏でした。

暑い日でした。

日本館に行ったかな。

記憶に間違いがなければ、そこで「リコー」という企業名を初めて耳にしました。

コピー技術の紹介があったのじゃないかと思います。

でも「コピー」という技術を見たこともなければ聞いたこともないのだから、紹介されたって全くピンときてなかった。

特に私は子供だったしね。

コピー機」は80年代くらいに一挙に広まったことを覚えています。

今思えば、なんでそんな何もかもがない時代に、愉快に暮らせていたのか不思議なんですけど、なけりゃないで「みんながない」状態だと「まあそんなもん」と日々愉快に暮らしておりました。

ゲーム機もないしさ。

ほんまに愉快に毎日外遊びしていました。

大阪市内でもまだまだ田んぼもあって、そういうところでも遊んでいました。

子供もわんさかいて、公園に行ったらどこの学校の子かわかんなくても、そこにいたみんなで遊んでいました。公園には子供が毎日あふれかえっていました。親が(地域の小さい)公園についてくるなんて風景、見たこともありませんでした。

家の前の道でも、車の少ない道だとそこで「三角ベース」という野球をやったりしていました。

 

さて。

万博はどこでも列、列でしたけど、それなりに楽しく見てまわって、夜、疲れ果てた我が一家はドイツ館の裏手? 横? ともかくドイツ館の管轄の喫茶レストランみたいなとこに入りました。

夜8時ごろだったかな。

きっと父は「ドイツのビール」を飲みたかったのかな。

珍しく気前よく、ワタクシにもアイスクリーム(ソフトクリームです)買ってくれたんですよ。

かなりうれしかったです。

この写真よりはもっと小さかったよなあ。

でも、チョコ味だったのを覚えている。

うれしく、ひとなめふたなめしたところだったかなあ。

ウェイトレスの女の人(ドイツの方)が近づいてきて、何か私に話しかけています。

私と、私の膝の上を指さして何か言っている。

私はアイスクリームのことを言ってるのかなと思ったんだけど……。

膝の上を見たら……

(◎_◎;)

どうしよう?

膝の上の服の白いところにアイスクリームが溶けて一滴、こぼれているではないか!

怒られる!

(>_<)

私は身を固くしました。

これまた当時はですね、親だけじゃなく学校の先生も近所のおっちゃんおばちゃんも

何の気兼ねもなく、よその子でもしつけるというか、子供の粗相(そそう)に手厳しかったんですよ。

ましてワタクシの親はですね、怖かったです。

一張羅ですもん。

その膝の上にアイスクリームのしみを作っちゃったんだから。

そんなもんしかられるに決まっています。

私は、お店の人にも怒られるとばっかり思って、身をすくめました。

でも。

顔を上げるとウェイトレスさん、なんか微笑んでいました。

私はあまりのことに固まってしまっていましたけど。

何か話しておられました、にこにこと。

雰囲気、「あらあらまあまあ、こぼしちゃったのねー」的な雰囲気でした。

うちの親も(たぶん英語だったのかな?)なんかしどろもどろにこにこと笑顔でごまかしていました。

外国人と、しかも若い?白人の女性と会話するとなると、父もへらへらとしかしてませんでした。いつもなら、服をしかも一張羅を汚したら文句を言うだろう父も母も、ウェイトレスさんに笑顔でした(言葉が通じない時の、英語が話せない人の、ごまかし笑顔です)。

そうです。

ワタクシは

子供に寛容

という、

子供の失敗に笑顔でいられる

というのに、ほぼ初めて遭遇したのです!

ウェイトレスさんが立ち去った後も、父も母も穏やかでした。

我が家族にもそんな「穏やかな夜」があったなあ。

そんな楽しい笑顔の夜があったんだ。

私と弟はまだまだカワイイ年齢で、反抗期はもっと後のことだし、父も肝臓を悪くして長期入院したのはその後何年か経ってからだった。

だから、その時は私の親もまだ若くて元気で、私と弟も小さくて元気いっぱいだった。

いい夜だったな。

今思い出すとちょっと泣けるな。

(/_;)
あの父も今はなく。


この経験のおかげか、ワタクシは白人女性の印象がすこぶる良く、誰見ても親切そうに見えます(副産物)。

 

なんかなあ。

万博でいろんな国の方と触れ合えるのはいいもんですよ。

貴重な体験。

多様な価値観に触れられるのも万博の魅力です。

 

今回の大阪・関西万博でも、多くの方にそういう体験があればなと願っています。

 

仔羊おばさん