今週のお題「大人だから」
ちび時代、高校球児は自分より年上で、すごい立派に見えました。それこそ大人に見えました。
やがて同年代が甲子園で活躍、同年齢でも自分より10歩も20歩も先を行く存在に見えました。自分は学生で子供なのに、これまた自分より大人に近い存在に見えました。
歌手の皆さんについてもそうで、子供の頃には皆大人に見えていたのが、やがて同年代になります。
やがて、自分はどんどん年を取り……。
宇多田ヒカルの曲がすごく好きになり、毎日聞いている時、しみじみ
あーこの子、めっちゃ年下やんなあ。
でも、私はそんな年下の子の書いた歌詞が心にしみる。
そう思うと、年齢の割に成長してない、いつまでもダメダメな自分、憧れていたバリキャリのキャリアウーマンになって人から注目され、メディアの取材を受けたりとかなんか、夢にも思ってはいけないような成果しか挙げていない自分……情けなく感じる一方、宇多田ヒカルはすごい! とも感じました。
自分は中年になっても、名物教師になってすごく注目されるとかもない。
子供の頃に描いた夢は次々と破れ、まあ端的に言えば、そこまで突き抜けた努力もできない、テレビ見てうはうは笑っていたりする無駄時間を過ごしていて、抜きんでた存在になれずに、そのまま還暦を越え。
( ̄ー ̄)
「情けない」の一文字。
それが自分……。
申し訳ない。
まあ、そんなワタクシの述べる「大人論」など、クソみたいなもんだと思っていただければよいです!
ワタクシの本音。
大人の定義。
それは「子供を育てる」です。
子供には恵まれない方もいるし、独身で生涯いく方もいらっしゃいます。
ワタクシの言う「子供を育てる」は、
「子供を育てるか、あるいは子供を育てるのと同じくらいの苦労をしょい込み、悩み苦しみ、もんどりうつ」
を意味します。
それくらいしんどい思いをしたら、それではじめて
生きた
と言えるのかなと思うのです。
心のどっかで、
結婚して子供を育てて一人前
みたいな価値観がどん、とワタクシには座っています。
そんなこと公に話したら、例えばテレビでそんな発言をする人がいたら、石つぶてを投げつけられる(今時そんな行為を実際にしたら、その人も非難されるけど)かな。
ネットなら
炎上
するよね。
でも、例えば子供以上に、徳川家康が言った
人生は重い荷物を背負って遠き道を行くようなものだ
の「重い荷物」はあるもので、それを担ってはじめて大人なのかなと考えているのです。
重度の障害を負い、動くこともほとんどできない人であっても、
重荷を負って生きている
のだから、それでもう十分に大人だと思っています。
本人は「重荷」意識はないのかなと思いますけど、生きるとはそういうことなのかなと。
若くして、もしくは小さい頃にすごい貧困に苦しむとか、ヤングケアラーのように親の面倒をみんといかんとか、事故とか犯罪に巻き込まれるとかでめっちゃ辛い目にあった人が早く大人になるのはそういうことなのかなと考えています。
ことわざに
若い頃の苦労は買うてでもせえ
とあります。
きっとそういうのを述べているのでしょうね。
ワタクシはそういう苦労をしないで大人になったため、あらゆる苦労としんどさが中年時代に集中してしまったのではないか?
と、今、はた!
(; ・`д・´)
と気づいたところであります!
そういや糖尿病になったり、首の牽引に行かないといけなくなったり、子宮筋腫にひざ痛、右手首の骨折だのなんだの(子供の統合失調症発症に関しては、もう後悔してもしきれんほど後悔の嵐)、指痛に首痛(指痛はかなり治ったけど、首痛は治らん)、確かに年齢と無関係ではないけど、それ以上のものを感じる💦
子供時代にもうちょっと苦労してたら、その中のいくつかは避けれたかもしんないです。
(>_<)
でも、もう過去は悔いてもしかたありません。
前向いて進みます。
まあ、そういうわけで、ワタクシの「大人」論は
とんでもない苦労をしている
であります。
そして、結婚して子供を持つということは、その、
とんでもない苦労
に人を導くものだということです。
少子化が問題になっていますけど、子供を育てるのは「とんでもない苦労」であるため、ワタクシは自然な現象と受け止めています。
おそらくは、本当に少子化に歯止めをかけて、出生率を向上させようと思ったら、
実はそのとんでもない苦労は
1.人を真の大人に至らしめるものであり、
2.あらゆるビジネスの成功につながる示唆に富み、
3.深い人生の意味を味わわせるもの
4.実は本当の幸福に導くもの
であると皆に思い込ませる教育が必要でしょうな。
( ̄ー ̄)
「思い込ませる」がカナシイ。
しかし、時々は「金持ちの家の猫」になりたい……。
本音です💦
仔羊おばさん