なんで生きるの?
なんで学校行くの?
なんで仕事をするの?
など、人間はヒマになると理由を求める。
仕事について、ワタクシに最も納得のいく答えをくれたのは:
この本でした。
道の真ん中にどでかい穴があいている。
塞がないと通る人や車が困るから塞ぐ。それが「仕事」だというのです。
このデンで行くと、「やりたいことを仕事にする」は違うことになります。
でも、ワタクシ、今回の就活でも感じたんですけど、やっぱりニーズがあってこその仕事、ってのが当たってると思います。
「やりたいことを仕事にする」のがいいのは、日本はやたら仕事を頑張んないといけないからですよ。
苦痛なことを長い時間、精度をもってするのは大変ですもん。
だけども、もともと仕事ってそんなにへーこらしながら、かつ苦痛なのにする、ってのは違ってて、「穴を塞ぐ」は苦痛を伴わないという前提があると思うんですよ。
誰かがやらないといけなくて、それをやったら人から感謝される。
そういう単純なことを養老猛司さんはおっしゃってるんだと思う。
穴を塞ぐのに、「すみません、今穴塞いでますんで」と頭を下げて
「申し訳ない。2時間で塞がりますから、穴を塞がせてください」なんて穴を塞ぐのに頭を下げる必要はそもそもないんですよ。あるいは、仮に頭を下げてあげてもいいけど、穴を塞いでる人に対して「なんで穴なんか塞いでんねん! 邪魔やないか!」と怒鳴るやつがいたら、そいつが間違っとるんです。
恩恵は皆にいきわたるんだから。
で、ワタクシは今、生活のためというだけなら仕事をしなくてもいい状態なのですが、それでも仕事をしたいなと思ったのはそれなりの状況があります。
それは
遊ぶ金欲しさ
です。
そんな言い方したら身もふたもないんですが、中国語のレッスンを受けたいんです。
離職前は週に1回行ってて、そこそこな気晴らしになってました。
仕事を辞める前には授業料くらいラクラク払えていたから何とも思ってなかったんですけど、いざ辞めてみると健康保険も年金も固定資産税も、その他もろもろ結構支払わないといけないお金ってかなりありました。
すると、もう中国語どころじゃなくなりました。
ワタクシが行ってたところは個人の塾みたいなところで場所代も安いビルで、月に1万6千円と結構お安かったんです。
それでもサッカー観戦を3,000円程度の席で見るとしたら、月に4-5回行けるくらいのお金が中国語ではかかるわけです。
これに、更に英語の勉強をしたいとか、スイミング習いたいとか考えると、結構お金がかかっちゃいます。
65歳になったら年金がもらえますから、それまでに中国語を再開したいと思うと、やはり働くしかありません……。
たぶん「旅行」「外食」もそうなんでしょうね。
でも、コロナ以降、この二つの我慢にもすっかり慣れっこになってしまいました。
あともう一つは「納税してる」という気持ちでしょうか。
まだ働いて納税できる体力的な余裕があるのに、それをしてないのはどうにも罪悪感があるのです……。
よく世にいう「老後の資金」について、ワタクシはあんまり悩んでいません。
ローンは完済したし、節約生活を心がけているので、なんとかなりそうな気配です。
子供にはそう大したものを残してやれませんが、それは仕方がない。
それより迷惑をかけないで済むよう、体力を鍛えようと思います。
仔羊おばさん