さて、ワタクシには息子が二人いる。
上の子はもう社会人で働いている。どうやら結構な「社畜」状態のようである。
先日会った時に「上司にはたまにガツンとかましてやれ!」と、自分にできないことを息子には言った。
かつて「プライド高い君」が「ガンガラ上司」に対して取っていた態度も、今にして思えば一人の人間としては、あのくらいでもいい加減だったと思う、このごろなのだ……。
しかし、当人は「ガツンといっても上司からはさらに倍にも3倍にもなって、もっとすごいのがくる」などと言っていた。太刀打ちできないらしい。
思うに、上の子の仕事ぶりって私に似てるな……。変なところが似るな……。
顔も理系であるところも私には似ず、夫に似てるのに。
ちょっと卑屈なその働きぶり、やたら長時間頑張ってしまう癖、自分の姿を見るようで反省した。
昭和の勘違い上司には、たまにはアッパーカット食らわしたれ!
が、今の私の考えだ。旧世代の遺物はさっさと撲滅させるに限る。
ところで、その時、上の子に言われたのは、
「もう無理して働くな」ということだった。
メルカリでぼちぼち何か売るとかでいいんちゃうかと言っていた。
たぶん本音では、本人がそういう「のんびり」を求めているのだろうな、と想像した。
下の子は、統合失調症の方はかなり回復してきて、最近は奇々怪々な言動はなくなってきている。
また、趣味もちょっとは楽しむようになってきて、友達と連絡を取ったり、徐々に人間に戻りつつある感じだ。
まあ、夫にも常々言われていた。
そんなに働かなくていい。苦しい仕事をしなくていい。
ほんと、今思えば何をあんなに頑張っていたのだろう?
学生の日本語能力試験の合格率など、教師があがいたところでしれているし、校則違反した学生に「反省させろ」とか、
反省なんか、ほっといてもする時はするがな。
もうちょっとのんびり働けばよかった…。
でも、そういうのって許されないんだよね。
なんで合格率こんな低いんだ?
とか
なんでN2じゃないんだ、N3なんだ? ウチの学校の目標はN2だろうが⁉
とか。
教育の世界にも「成果主義」を入れると、確かに教師はがんばるようにはなるけど、教育の大事なところは無視されてしまうのも事実。
日本語教育機関だったら、「せっかく日本に来た」っていうところとか、「日本に来て出会えた幸せ」とかにフォーカスできたら留学生活もいいカンジで過ごせそう。
公立の小学校だって中学だって、点数を追いかけることに主眼を置くようになったら、きっと学校の楽しさって薄れちゃうんじゃないかな。
仕事だって「今日もみんな元気に出勤できてよかったね」ぐらいで100点だったら辛くないのにな。
そういう牧歌的な世界だったら皆幸せになれるのにな。
事故とか災害に遭って初めて、そんな日常の幸せに気付くんだけど、では、事故や災害や病気にならないと幸せに気付けないなら、私たちの社会は一体、何なのだろう……?
仔羊おばさん