ワタクシは1962年生まれ。
1964年のオリンピックは2歳で、記憶にはありません。
先日、党首討論で菅首相がその東京オリンピックの記憶を語っておられましたね。
女子バレー「東洋の魔女」の活躍、
柔道オランダ代表ヘーシンク選手が優勝しても、負けた相手選手への敬意を示した行為…。
翌日、ネットニュースで見ても、ああ我が愛する朝日新聞の「天声人語」に至るまで、恐ろしいほどの酷評を浴びていました。
天声人語なんか、「やぎさんゆうびん」みたいに質問の答えになってない!とひどかったです。
でも仔羊なんか、首相の答弁で東京オリンピックを思い、ものすごく同感しています。
さっきも書いたように、当時2歳で記憶にないのに一体なぜ?
(。´・ω・)?
それは、映画「東京オリンピック」を若い頃、映画館で見たことがありまして。
市川崑監督が監督した記録映画です。
女子の体操ベラ・チャフラフスカ選手の、今の女子体操にない優美な美しさも収められています。
閉会式の感動。各国の選手が入り乱れて国籍関係なく陽気にスタジアムになだれ込んで来たとき、「平和の祭典」をかみしめた当時の日本……。
あれって圧倒的な体験なので、それを体験してるかどうかでオリンピック観は変わってしまいます。
ワタクシこと仔羊は、札幌の冬季オリンピックも忘れ難いです。
女子のフィギュアスケート選手のジャネット・リンさんの演技中の
しりもち&キュートな笑顔
それを目撃した時の「目から鱗(めからうろこ)」、あの「目が覚める」感じをどう説明しましょう?
あの頃の日本人のメンタルはね。
失敗=恥ずべき事、やってはいけないこと、特に重要な場面では×
というのが重かったんですよ。根性第一だったし。
今みたいに「次に切り替えて」みたいなマインドを持ってなかった。
ジャネット・リンを見てね。
「テヘペロ」の大事さを初めて知るんですね……。
当時は、そういうマインドはなく、仕事でも失敗したら自殺したくなるというか、居場所がなくなる感が強すぎたと言うか、人生終わったみたいに思うことが多かったんです。
ジャネット・リン選手みたいな「失敗からの立ち直り方」に初めて出会ったと言いますかね。
そういう「新しい価値観」に出会った際のいい意味でのショック。
あともう一回、忘れ難い「オリンピック体験」は2008年の北京です。
ワタクシは長年日本語学校で働いてきたのですが、この北京オリンピックの前後の中国人留学生の変貌ぶりも書かないといけません。
それまでの中国人留学生はマナーといい、法意識といい、ともかく「井の中の蛙」でしたね…。
レアなケースではありますが、例えばテストで自分が間違っているのを「正しい」と主張し、辞書を見せて納得させようとすると「その辞書が違っているのだ」と主張したり、奈良の東大寺(世界最古の木造建築)を「そんな新しい建物、中国にはもっと古いのがいっぱいあるから」だの言ってみたり、トイレの使い方を知らずにとんでもない使い方をしたり、「瓜子」(すいかの種みたいなお菓子、結構ワタクシも好きよ💛)の殻を机に山積にして休み時間に食べて掃除せずに帰ったり……
ということが、北京オリンピックを機に激減!
そう、中国人留学生が3段飛ばしぐらいで「国際化」「グローバル化」するのを、仔羊は体験したのです!
そりゃ、今だってマナーの悪いのもいますし、法意識やマナー意識の低い留学生もいます。でも、オリンピック前後の変化は決定的でした。
そう、こういった「オリンピック体験」は
理屈抜きに圧倒的な体験
なわけで…。
ワタクシは、開会式の入場行進も好きです。
自分の教えた学生の国は自分の国と考えよう
というモットーでワタクシは生きています。
長い入場行進は、私の家族でも何時間もかけて見続けて感動してるのは私一人だけ。きっと長すぎて退屈なんですね。
でも私は、あーあの学生どうしてるかな、偉くなったかな、いくつになったかな、どこにいるかな、と思いを馳せています。
もちろん今の「金満」ピックは私も感心しません。
もっと「さわやかな」大会にはなってほしいです。
日本に限って言えば、酷暑の中より秋開催が望ましいですから……。
仔羊おばさん