25年の節目の年を迎えました。
私は被災者ではないのですが、それでも悲しい気持ちを持っています。
私の脳裏には、「震災前の神戸の風景」が今も残っています。
そこには、古びているんだけど、おしゃれで洋風な街の雰囲気がありました。
三宮の駅前。
そうそう、あそこにプランターがあって、花が咲いていたよな。
ベンチに座って、当時付き合っていた人と何か話をしていた。
震災後、復興した神戸は新しい建物が多くて、今行くとなんか街がピカピカ光っています。
けど、光っていれば光っているほど、「あー」と思い、悲しい気持ちになります。
この「ピカピカ」の前に、多くの人の犠牲があったから。
( ̄ー ̄)
そういう意味では、「神戸」という街を失ってしまった喪失感は、いつまでも私たちの心に残っているのです。
その日、私の上の子はお腹の中にいて、今、その子はもうじき25になるというわけです。
亡くなった方はとても多かった。
私は大阪府に住んでいて、どっちかというと大阪の南の方で、周囲に被災した建物はなかった。それでも、この人生で一番の揺れ。
あの頃60代だった私の両親も母屋から外に飛び出してきたよな。
「こんな大きい地震は初めて」と言っていた。
私が当時住んでいたのは離れで、ぼろい作りだった。
1Fに主人がいて、私は2Fでまだ横になっていた。
もしも神戸に住んでいたなら、きっとあの時主人は下敷きになって亡くなっていたと思う。
このブログでは働くことや転職など、思うようにいかない日常を綴っているけど、
志半ばで亡くなられた方々のことを思うと、ちょっと自分のことはさておいて、
とにかく何かの仕事でもさせてもらえていることには感謝したい。
ご冥福をお祈りします。
そして、月並みな言葉ではあるけど、
ちょっとでもよりよい社会を作り出していくこと、
私なりに頑張りたいです。
煉瓦を積む。
仔羊おばさん