50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

自白強要、ならぬ業務強要!

今週のお題「人生最大の危機」

 

私は、日本語学校で外国人に日本語を教える仕事をして、トータルで20年ほどになる。

その私の人生最大の危機は、40代後半くらいでそこそこ大きい日本語教育機関で専任の仕事をしていた時にやってきた。

 

 

人生最大の危機に至る背景説明

1.時期

それは、ちょうど夏休みが明けて、秋学期のカリキュラムやら何やらを考えたり、9月の期末試験の準備をしている時期だったと思う。

私は、学生の進学を担当していたから(日本語学校で。留学生の)、とにかく毎日帰れないくらい忙しかった。

でも、子供も中学生や高校生ぐらいだったから、家も忙しくて、一生懸命毎日定時で帰れるようにすごくがんばって働いていた。

40代で専任の仕事を始めて7,8年経った頃だったかな。

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2.同僚が辞めることにしたのはなぜか。

そんなさ中、同僚が一人、辞職を決意した。私より7,8歳年下の同僚。

同僚はその三年ほど前に結婚していた。そこそこ年下の男性と結婚していたと記憶する。4,5歳は年下のご主人だったんじゃないかな。

そして、私の同僚は40代前半。女性。

とっても気の利く、きっちりと仕事をする同僚だった。

半年ほど前、この同僚は妊娠し、とても喜んでいた。そう、もう40代だったから、妊娠の前は結構不妊治療にも通っていて、待望の赤ちゃんだった。

私の職場は外で働くような仕事ではないから、いわゆる「激務」ではなかった。けど、忙しさとか持ち帰りの仕事とかそこそこあった。

学生の授業満足度アンケートもあるし、仕事内容には学生が問題を起こした時に対処するとか、その成績にも責任があるようなポジションだった。

だから、心労はけっこう重い職務だったと思う。

私も、続けるだけで精いっぱいで、それ以上何か成果をあげるとか、考えられなかったし、考えるヒマもなかった。

そんな中、同僚は妊娠し、とても喜び…

その後1か月もしないうちに…

流産した。

そろそろ学生も卒業、という3月ごろだったかな、と思う。

 

その同僚が、夏休み前後あたりで辞職を決めた。

私はその職場で数少ない家庭持ち&子持ちであったから(ほぼ9割独身の職場)、妊娠する半年前から不妊治療のことも聞いていたし、結構結婚についての話とかダンナの話とかもしていた。

で、辞職の話も上司に聞くよりも先に彼女から聞いていたように思う。

 

あまり意外ではなかった。

子供って…

何にもまして大切な存在だから、流産してしまった時の後悔も悲しさも、言葉にはできない。働いていたら、働いていたことも後悔する。

別に流産と仕事は関係ないって人は言うだろう。

医者も言うだろう。

そして私も、2人の子供の妊娠中も仕事していたし、それは流産とは関係ないと思うけど、もしも私が彼女なら、間違いなく働いていたことを後悔する。

それくらい、仕事の重圧は大きい。

日本で働くって、真面目で責任感が強い人ほど重圧を感じやすい。

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3.経営順調、ぎりぎりの人材しか雇っていない

有能な経営陣は考えるんです。

いかに人件費を抑えるかって。

いかに賃金安く雇って、最大限の結果を出させるか。

経営陣だってプロだから。

で、ぎりぎりの人材しかいないので、この同僚の退職を認め、かつ最大限の結果を出すためにはどうするか。

当時の校長と主任は考えたんでしょうね。

白羽の矢は私に当たりました。

今思えば光栄なことです。

(T_T)

 デモネ

 

そして、最大の危機

校長と主任に呼び出される

 

もちろん学校内にあるのですから、そこは「面談ルーム」あるいは「面談ブース」と呼ばれる、ちょっとした小部屋です。

ある日、そこに校長及び主任に呼び出されました。

その日、新学期の準備に取り掛かっていたワタクシは、どうやらこの仕事量は殺人的で、どう考えても自分の力でできそうにないと予感していました。

仕事の時間内には終わりません。でも、残業したって残業代は出ません。

一体、自分はどのくらいただで働けばいいのか?

いや、そもそもただで働いたって、できそうもないんです。

完成しそうもないんです。

追い込まれていました。

そこへお呼び呼び…

 

私は「何だろう?」でした。

「仕事の邪魔」とも思いました。息もできないくらい忙しいのに、子供のためにも今日一日、定時で帰ろうと毎日毎日がんばってるんです。

声なんてかけんでほしい。

と思ってました。

面談ルームに入ると、校長が口を開きました。

「〇〇先生がお辞めになるんです。知ってますか?」

「ええ、あの本人から…」

「〇〇先生の担当の上級の担当ですけど」

そこで、私は悟りました。

あーそういうことか!

(@_@)

なぜなら、当時の専任で、上級のカリキュラム組むとか、教材選ぶとかだと、どう考えても自分しかいなかったんです。

「仔羊先生にぜひ引き継いでいただきたいと」

もう、そこから私はうつむいて、言葉が出ませんでした。

主任も校長も、そこからは、

「一人で無理なのはわかっているから」

「校長自らが何々と何々は手伝う」

などとおっしゃるのをメモし…でも、それをやってもらったとして、自分の業務が減るのかと言うと、別に減りはしないのです。

 

カンヅメ!

後は説得&「でもそんなん無理です」

「いやでも仔羊先生しか」

の繰り返しが5回ほど。

もう、5回で言葉が出なくなりました。

首を縦に振るまでこの部屋を出られません。

当時の職場で、この面談ルームに呼び出されて、校長と主任の意のままにならなかった、という事例は一例もないのです。

「雇止め告知」

「給与の告知」

「ご注意」

その他、全てこの面談ルームが舞台です。

 

ワタクシはどれほどの時間、そこでうつむいていたことでしょう。

ワタクシが何も言わなくなって、校長も主任も焦っています。

でも、それでも私は首を縦に振れません。

不可能の上に不可能が重なるんだから。

 

とはいえ、時間が経てば経つほど、校長、主任、そして自分も困り果てて行き詰まりました。

そうです。

首を縦に振らないと、私はこの部屋から出られない。今日、家に帰れない。

首を縦に振らせないと、校長と主任は帰れない。次の手がない。

自白の強要と同じだと悟りました。

そうだ。これだ。

無実でも「やった」と言ってしまうのはこれなんだ。

とにかくここから逃れたい。

ただそれだけ。

それだけの気持ちでやってもいない犯罪を「やった」と言ってしまう。

今の私の気持ちだ!

(; ・`д・´)

 

…私はその部屋を出る、という選択をしました…。

(T_T)

自白の強要ならぬ、業務の強要でした。

あれが正社員でもなく、1年契約の非正規雇用の自分にさせられたことは、今も理不尽なことだったと思います。

そして、あんなにも頑張って仕事をしたのに、その見返りはあんまりなかった。

職場での評価もそうだし(実力不足と思うことにしたけど)、

子育てはずいぶん犠牲にしたな、と今は後悔している…。

 

後記

 

その後、どうやってその秋、冬を乗り切ったのか?

今もって謎です。

でも、あの修羅場をくぐったからこそ、今は余裕が持てている、という気もします。

当時の校長に対しては今もわだかまりはある。

その後、その職場を去る要因の中の一件にはなっている。

主任の先生とは、これ以前に私の言うことをことごとく耳を傾けて聞いてくれていた方で、私の中にわだかまりはない。

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仕事の中で、あれ以上の危機はなかった。

 

仔羊おばさん