私は、長年日本語教師をやってきたから、実際に戦争を体験してきた学生の話を聞いたこともある。
まだ二十歳そこそこの若者が、友人を亡くしていたり、家族を亡くしていたりする。
自由のない国もある。どこででも何でも言える日本はいいな、と思う。
発展途上国の貧しさ。日本に留学に来れる人はまだまし。本当に貧しい人たちは留学なんて来られない。
比べたら、日本はいい国だって思う。
そりゃ、嫌なとこもあるよ。嫌な人もいるし。
とはいえ平和で、総じていい国だから、学生たちも無理してでも来るワケで。
そんな日本で「生き辛い」って…なんで?
私自身にも実際「生き辛い」って経験はあったし。
まず、日本には、日本人には「いじめ」というものがある。
これは、外国人には、びっくりするくらい、ない。
日本語学校で「いじめ」は起こりようがない。
なぜかといえば簡単で、外国人の寄せ集まりだと「一致することがない」から、「一人を集中していじめる」こともない。
悪く言えばばらばらなので、協力して何かをする、という段になると、日本人のグループのようにうまくいかないし、あくまで我を押し通す学生も少なくない。
なんで日本人は「いじめ」てしまうのか?
この本にその疑問に対する答えがあった。
日本人はフリーライダーを検知しすぎてしまうらしい。
あともう一つ、恐ろしい理論がある。
それは、日本語の上級の教科書の中にあったのだけど、
「2:6:2の法則」という。
10人いたら、二人の優秀な、あるいはすばらしい人材がいる。次に可も不可もない6人。そして最後に「いらない」「じゃま」「だめ」な2人がいる。
そして、それは、メンバーに変更があっても、必ず出てくる、という理論だ。
だから、20人のクラスがあったとして、4人の最優秀な学生が他に行ってしまっても、悲しむにはあたらない。なぜなら、残り16人の中から、再び「2:6:2の法則」で、「優秀な学生」が現れるからだ。
そしてそれは、「一番いらない2人」にも起こるので、4人のだめ学生がクラスからいなくなったとしても、教師の目にはその後もだめ学生が現れ続ける、という恐ろしい理論だ。
この理論にのっとれば、どの職場にも「すごい役立つ2割」がおり、「こいついらんわ的な2割」が存在することになる。
私自身、たぶん「最後の2人」になったこともあるし、「役立つ2人」だったこともある。「仔羊おばさん」という一人の人の能力や性格は別に特段かわらないのに、集団内部の変化で、私の価値は変化する、ということだ。
すんごい辛かった、貿易の仕事で、私は「最後の2人」として、社長からも社員からも「あいつさっさといなくなればいいのに」という風に思われる存在だった。
生き辛いっていうか、もういたたまれないカンジでした。
今、私は主任という立場になって思います。
組織には実は「最後の2人」は必要。この2人がいることで、真ん中の6人は大丈夫な存在でいられるわけで。
全員に居場所がある職場がいい職場だよね。
生き辛い、なんて悲しすぎる。
仔羊おばさん