今の職場の面接の後、即採用が決まって、しばらく考える時間をもらいました。
年間休日が減るのが最大の要因で、次に給料が減る(自分の試算では2年目で横ばい、3年目でやっと現状を越える、とみた。ボーナス分は不確定なものなので)のが躊躇の原因。
転職したい気持ちを後押ししたのは、
1.正社員になれる
2.定年が65歳
の二つがありましたが、最終的に決断したのは、やはり福祉関係の会社であったことです。
そもそも、そうでなければ履歴書さえ送ってなかったと思います。
私は大学で社会福祉学専攻だったのです。
社会福祉 社会保障を誰が、どういう風に担うのかについて、私が大学生だった時に盛んに論議されていたのは、
家族がになうのか vs 社会がになうのか
でした。1980年代初頭ですね。
ちょっとお勉強。
社会保障の負担、3つの典型的な型
家族依存型で行くのか、政府依存型で行くのかという論議があったわけです。
「市場依存型」は社会福祉サービスを市場にゆだねるということですので、お金のある人は高いサービスを受けられる一方、貧しい層は大変なことになります。「健康保険制度」も似たようなことですから、アメリカの医療保険の現状を考えていただければ、どういう社会なのか想像していただけると思います。
日本人には、極めて受け入れがたい制度だと思います。
ですので、1980年代初頭も今も「市場依存型で行こうじゃないか」という主張は主流にはなってませんよね。
昔の主流は「家族依存型」だったわけですが、これは「嫁」の立場の負担が重すぎること、今も「介護離職」が問題になっているように、家族の生活が破たんするケースが出てきてしまうこと、などがデメリットとなります。
私は大学卒業後ずっと社会福祉関係の仕事はしてこなかったのですが、「介護保険」が出現した時、ああ日本は政府依存型を目指して進むことになったんだ…と理解しました。
そして、介護の現場に外国人を入れることについて、誰だって当初は賛成していなかったと思いますが…。
今、介護の業界は空前の人手不足、その労働力不足を埋め合わせるため、外国人労働力を入れようとしています。
そこで、その人材に日本語の教育をするための日本語学校がどんどんでき始めていたのです。…今も、そういう学校が増えていますね。
また、外国人観光客の誘致も、景気をよくしていく政策の一つとして、積極的に行われています。
そして、日本語教育業界ではもう一つ、2008年に日本政府から発表された「留学生30万人計画」も大きく影響していて、そういうことがすべて相まって、日本語学校が増えてきているのです。
自分のキャリアもあと5年か、長くても10年なのかあ…
大学のゼミの先生も、福祉関係の仕事に就いたら、喜んでくれるかなあ…
(仔羊の大学のゼミの先生は、もう他界されて7-8年になりますか…)
なんか、そういう気持ちになりました。
私が今働いている日本語学校も、経営母体の目的は、介護の外国人人材の養成にあります。
自分の仕事を通じて世の中に貢献する。
今、自分にできる貢献ってこれかな。
(´・ω・`)
キャリアの最後にできる恩返しはこれかな。
決断したのは、意外にもそんなきれいごとでした。
何が正解かは、よくわかりませんが。
仔羊おばさん