仕事は、一日の中でかなりの時間を占めるせいか、仕事が私生活に影響する、ということはありますよね。
一方、私生活が仕事に及ぼす影響というのもあります。
そういうのが複合的に絡み合って、生きるのがしんどいとか楽しいとか、幸福感が感じられるか感じられないか(だって、今のこの日本で生活できることは世界的に見ればかなり幸せなことだと言わざるを得ません。認めようが認めまいが比べるとホンマいい国です)が決まってくるんだと思います。
私は晩婚だったので、出産も遅く、子離れ期が50代になってしまいました。
早い人なら30代後半とかでこれを迎える方もいらっしゃるんでしょうね。
子離れの苦しみは、もう人生最大の難関で、どうやってこれを乗り越えたらいいのか、まったく先が見えません。
空の巣症候群
って言いますけど…
それまで必死に仕事と家庭をやってきて、目の前に
空の巣
を見つけた時の 衝撃 むなしさ さびしさ 脱力感 寂寥
こんなはずじゃなかった感、…は、なんとも言い難いものです。
これは、もともとは強い幸福感を持っていたものが、一瞬にして崩壊すると、強い不幸感につながる、という矛盾した思いです。
ペットを飼っていたから、ペットロスがあるわけです。
「子離れ」で、大勢の人のいろんな思いを読んでいると、親は苦しみ、子供の立場からは子離れしてくれない親ほど厄介なものはないみたいです。
こんな親になるのはやめよう…と、心に誓うのですが、それって親としてはものすごい無理した状態なんです。毎日、必死です!
家では子供が中心、仕事では学生が中心、という毎日を過ごしてきた私は、長年のこの「自分ロス」とでも呼ぶべき、
「自分はどうしたいのか」とか「自分はどう生きたいのか」
「自分は何がしたいのか」
「自分は何を食べたいのか」…という自分の心に耳を傾ける習慣がなくなってきています。仕事でも、学生が進学だなんだ、となると、当然ですが学生の希望が中心で私がどうしたいかなんてどうでもいいわけです。
私は主任でもなかったので、一兵卒として主任や学科長の目指す教育を実践するわけで、そこでも受け身な姿勢を余儀なくされており…
あー危険、危険!
仕事で自分の心の声が聞けないのなら、せめて私生活では自分の心の声に耳を傾けたい。
ところが、そうだ、自分の
心の声を聞くんだ、と思ったら、そこに 空の巣
が…
あぁ、ほんまに辛い。
ともかく、必死に探します。自分を。
昨日、夫が無事に退院でき、帰ってきていた子供たちも一緒に食卓を囲むことができ、幸福でした。それを「幸福」と感じた自分には、まだまだ子離れは高いハードルです。
け、うざい!
ほんとは一人で過ごしたい!
って思えたら、きっと卒母完了、なんでしょうね。