50~60代女性の転職 from55life

長年のワーキングマザー経験から綴る今

ワーキングマザーは出世を目指すべき、でも目指さない理由③

 ワーキングマザーが出世を目指すべきだと思うようになったのは、実はここ2.3年のことです。

 私が「ワーママは出世を目指すべき」と思う、もう一つの理由を今日は書きたいです。

 そして、それは、50代も半ばになって転職に動いたことの遠因になっています。

 

 ワーママが出世を目指すべき、もう一つの理由は、「窓際に追いやられないため」です。それまで職場の中心にいて、ばりばりやっていたのに窓際に追いやられたら、それなりに辛いです。

 私は、いわゆる窓際に追いやられたという世間的なイメージとは遠いんですが、遅刻も欠勤も全くないのに給料を減らされたのも事実、主要な業務から外されたのも事実です。

 これは、男性社員もある程度ベテランになって、出世してなかったら、もしかしたら同じような状態になったりするのかもしれません。

 あともう一つ付け加えたいのは、「子供は離れて行って自立するから」です。

 ところで私の場合、職場での経緯はざっと、こうです。

 まず、上司の上司である「学科長」という立場の人が、定年を前に(?)他部署に移りました。そして次に、私の入社からずっと上司であった主任が「もしかしたら左遷なのか?」と疑われるような人事異動で、これまた他部署に移動になりました。

 でも、そのお二人はもちろん、1年契約の立場の私と違って正社員ですから、その後もその会社を離れることはありませんでした。それくらい「正社員」というのはやはり待遇が良いのだと推測します。…正社員を目指すべきです…。

 その翌年だったでしょうか。翌々年だったでしょうか…。

 契約更改、というか次の年の契約を交わす前に、給与の話などを学科長と1対1でするのですが、その際、「あなたの給料は上がりすぎているので、少し下げさせてほしい」と交渉がありました。

 今思えばこの時、もっとがつがつと「今回下がるのはしかたがないとしても、今後下がらずに上がらずにどうすればいいのかアドバイスをくれ」とか、「私の欠けている点について改善したいので教えてくれ」とか、自分にちょっと耳の痛いことも聞こうとする姿勢が必要だったと思います。

 今頃、このブログで言い訳を書いても負け犬の遠吠えみたいなもんなので、恥ずかしいですが、当時の私は私なりに仕事に全力投球できない理由もありました。それは、上の子供が高校生から大学進学、下の子が中学から高校という、なかなか扱いの難しい年齢だったことがありました。特に中学生あたりは、急に連絡もなしに帰りが遅くなったり、習い事に行ってるはずなのに実は行ってなかったりということもあるのです。それは何の前触れもなしに起こるわけです。夜の街を探し回って、子供の友達のとこに電話をして騒いで、帰ってきてほっとして、そして次の日朝5時に起きて弁当作りです。そんなのは、まだやんちゃといってもましな方ですよね。ましな方でもそんなのです。

 また、同居はしてなかったのですが、父がかなり具合が悪くなっていました。週末実家に戻れば父のする同じ話を5回10回繰り返し聞いたり、父の世話をしている母の愚痴を聞いたりしていました。

 また、ぼけた…と言うほどでなくてもいろんな失敗やちょっとした事故や事件は増えるわけで、その度に家族で集まったり、ひやひやはらはらしたりと続いていました。

 そういう家庭の事情も、今思えば上司にも同僚にもわかってもらっとくべきです。

 でも、学科長もその学科長が選んだ新しい主任もいわば現場の中では私より後に入ってきた人たちなわけで、さらに言えば私より若く、当然ワーママでもないわけですから、ただ「使いにくいわりに早く帰りたがる邪魔もの」だったかもしれませんね。

 また、学科長も主任も、新しくその立場に立ったら、新しいやり方に変えたいと考えるのは当然で、そうすると古株は改革には邪魔ですよね。

 で、給与のカットを私はその年に受け入れました。

 私は出世なんてみじんも考えてなかったし、どこをどう押してもそんなこと、考える余裕もなかったと言えます。

 そして、その翌年父が亡くなり、次には自分が子宮筋腫の手術で入院、という一年が過ぎました。

 父が亡くなった時には、1年契約の専任講師である私には、「忌引き」という休暇はありませんでしたから、有休を2日取って対処しました。筋腫の入院の時には、1週間休みましたかね。これも有休や代休を使いました。

 その入院の前、私は上司に自分の首を差し出しました。「ご迷惑をおかけしますので、退職しなければならないなら退職します」と。

 しかし、その時は「もしそんな申し出を受け入れたら、この職場は病気をしたら辞めなければならない職場になる」と学科長が言ってくれて、じゃあ私の役目は入院して復帰することかなと考えて復帰しました。

 その次の更改の時が、…恐ろしかったです。

 まず、その更改の前に、私の職場で疎まれていた専任が一人、退職に追い込まれていました。この同僚の退職もたいがい理不尽なところがありましたが、一方で無断遅刻だか無断欠勤だかか2回あったので…

 ともかく、その直後更改時、「来期給与を2万円カットします」と言われました。「理由はこの職場であなたは給与が最も高く、主任より高いから給与のバランスを取りたいから」

 私は給与を上げてくれとそれまでも一度も上司に要求したことはありませんでしたから、なぜそれまで私の給与を上げた人の責任を問わないのか不思議でしたが…

 私は「あほ」なのかもしれませんが、給与2万円カットを了承しました。

 質問したのは、「昨年も給料が下がり、今年も下がりました。一体、どこまで下がったら下げ止まるんですか」でした。答えは「今年2万円下げて、来年も2万円下げる、というイメージですが」とのことでした…

 続きはまた次回。