しかたないですよ、もう、年代的にどんぴしゃなんですもん。
フレディー・マーキュリーというと、口ひげなのかもしれませんが、ワタクシにとって、最初に遭遇したフレディー・マーキュリー及びクィーンは、上の写真のような人たちでした。
みんなカッコイイ!
ところで、下記のブログで、転職前になんか泣けなくなった自分について言及した。
もともと、子供が小さい時とかは、自分の子供と同じような年齢の子供がなにかの事件に巻き込まれたり、交通事故に遭ったりしたニュースがちょっと報道されるだけでも泣いていた。
涙腺、めっちゃ緩かった。
それが、なんで泣けなくなったのかは、結構深刻な理由があることに思い至った。
まずは、職場に私と同じワーキングマザーが少なかったことがある。
当時の私の職場は、女性が多かったけど、フルタイムはほとんどが独身か男性、パートタイムでも独身で高学歴、結婚してない人が多かった。
それで、やっかみの対象にもなりたくないし、家のこととか子供のこととか、私は話すのをやめた。
遠慮したのだ。
やっかみも怖かった。
辞める直前くらいには、子供が相次いで家を離れて下宿になり、結構な空の巣になった。
この時も私は涙を封印したし、なんか、同じ職場にそういう人もいなくて、分かち合う人がいなかったから、心は寂しさでいっぱいなのに、我慢して過ごした。
どうも、ここらあたりに私の間違いがあったという気がする。
なんか無理してた。
そうやってるうちに自分の感情を「殺す」ことに慣れてしまって、そのあたりから…。
涙の少ない自分になった。
家でも一人でいたくって…内にこもって一人でテレビをぼーっと見てる時だけが、落ち着きを取り戻せる時間だった。
仕事では、多くの人と会わないといけないし、話もしないといけない。
家でいる時くらい、一人で静かになりたい。
昔は夫と話すのも楽しかったのに、全然楽しくなくなった。
結局、他人だからどうせ私の気持ちをわかってくれることもないし、むなしい。
あかんやんね。
ベクトルを逆に向けるほうがいいよね。
頭ではわかってるんだけどね。
で、この映画「ボヘミアン・ラプソディ」ですが、もうほんま泣けました!
帰ってきてからも、ささいなニュースでも涙が出て…
感情って使わないといけないのね…。
ちょっとほっとしました。
仔羊おばさん