あまり長々書かないのが、私の信条なのですが、今回はちょっと長くなります。
ごめんなさい。
今からおよそ2年前、私は転職を具体的に考えていたわけではなかった。
自分よりも若手、とか、自分よりもはるかに後に入ってきた先生が主任になって、私の仕事はというと、メインの日本語教育関連部門じゃなく、物理や化学、数学、英語などの講師・カリキュラムなどの管理部門になっていた。
当時受け持っていたクラスは、超優秀な学生のいるクラスで、日本語能力試験のN2満点合格1名、N1満点合格1名を出し(こういうのってめったにないんですよ)、クラスの平均点でも、自分よりも上のレベルのクラスの成績をも凌駕していて、自分としても指導の方法とか学習の方法とかにとても手ごたえを感じていた。学生の優秀さもあるけど、クラスの平均点でも結果が出せたことで、私はちょっと自信を持った。
その学習スタイルは、まあいや、
学校で、授業で「覚える」という作業をやっていくスタイル。
とはいえ、担任クラスで教えるのは日本語でも、受け持ち業務は「日本語以外」の管理で、それは「難物を任されている」とも言えるが「干されている」とも言える職務だったから、自分の中には悶々とした思いもあった。
当時、専任教員14年目だったけど、年契約は年契約、無期雇用に転じる申請ができるようになるのは2019年(2013年から5年後の2018年に申請できるようになるのじゃないのかと私は思ったが、契約更新が2月なので、こういうことが起こるらしい)、ほなもう定年間近じゃんか、と思い始めていた。
今にして思えば、そこで10年以上勤めていたのは私一人だったので、「こんなに長いこと専任だったんだから私だけ先に無期雇用にしてくれないのか」とか、言ってもよかったのかもしれない。けど、当時の私は「そんなことを言い出しても結果は変わらないだろう」「煙たがられるだけで終わりだろう」「嫌ならやめたら、で終わりかな」と考えていた。
だから、何も言わなかった。でも、ともかく、当時のクラスは結果を出すことができていたから、とても自信がついた。これで10月からも成果を出せば、学習法とかでも意見が言えるかな、と期待を持っていた。
潮目が変わったのは10月からのクラスでだった。
私は、その新主任の前の主任に仕事を叩き込まれた「旧世代の遺物」だった。
4月~9月のクラスで私が実施した学習法は、かつてその主任のもとで実施していた「結果を出すための」、すなわち「どっちかってーと詰め込み方式」の授業展開だった。
学校は同じ学校。私の勤めていた学校は、日本留学試験で高得点を取ること、日本語能力試験で合格者をより多く出すこと、名門大学に進学させること、を第一目標としている学校だった。そして、担任は学内の定期テストでより良高い成績を出すことを求められていた。
だから、私がやったことが間違いだとは私には思えなかった。
それで、10月に新たに担当したクラスでもそのやり方を実践しようとした。
この時、このクラスを担当したのは私と、大学院に通いながら教えている中堅教員一人、新任の先生一人。
三人でクラスを運営していくためのミーティングを行う。私は春に自分がやったやり方を実践したくて説明して、中堅教員も「そりゃ言語の習得とはそういうもんだ」と賛同してくれ、授業スタートとなった。新任の先生は何も言わなかった。
10月からスタートしたクラスで、ある一人の学生が「学校で覚える作業をする」というのに難色を示した。
私にも意見を言ってきたけど、私は春の学期で結果を出していたので、「ガマンしてやってくれ。きっと結果が出る」という返事をした(はず)。
こういう時、私のそれまでの経験だと、とにかくやっていく中で、お互いやりやすいやり方を見つけていくことはできるし(私は結構、そういうところは柔軟性もある)、クラスというのは私一人で作るものでもなく、学生、授業担当講師で力を合わせて作り出していくことができると考えていた。
ある日、授業を終えた新任の先生が、主任講師を呼び出した。私は「あれ?」と違和感を覚えたが、新任の先生は主任の研修を受けているから、主任と話すのはそう不自然なこともない。スルーした。
数日後、もう一人別の主任が私の授業を見学に来る、と言いに来た。
私の授業のやり方に学生から意見があり、それが学校の方針に反するものだと思われるとのことだった。
くだんの、新任の先生の主任呼び出し、はつまり「ちくり」ですね。私に直接言えばいいのに。学生が担任のやり方に不満を持っている。そして、そのやり方は主任の提示しているものに反している。
てことですね。
直接私に言えばいいのに。
( ̄д ̄)
当時の主任の目指していた教育は、テストのために勉強するのではなく、日本語を使ってなにがしかのタスクを達成していくことで日本語力を上げていくというものでした。だから、学校で「覚える作業をする」のは方針に反する、というわけでした。
主任がその後、見学に来られたクラスは、肝心かなめのそのクラスではなく、読解の授業で、「ん?意味あったんかいな」という感じでしたが、おっしゃることはよくわかってたので、「では教え方変えます」で、私は妥協しました。
それでも学生を伸ばすやり方は考えられると思いましたので…。
そこで論争しても時間を取るだけで、立場が下である以上、めんどくさい結果になるだけだと思いました。
そもそも、この一件がある前に、一人の専任教員がやめ(させられ)た時点で、「次(の標的)は誰だろう?」と自問し、「私だ」と自分でも思ってました。
私の職場では、それまでもそういうことを繰り返していました…。組織自体にそういう病理を持った職場だったのかなと思います。
そういうことがあって、私は退職をちょっと考えるようになりました。
それでもまだ転職する気はあまりなかったです。というより、転職ができると思ってせんでした。自分の可能性はもうない、と思っていました。
54歳。
って年齢で。
他に移る=非常勤、と思っていました。
ごく普通の考えだったと思います。
あ、その私の教え方を嫌がった学生とも、その後まもなくいい関係を築きましたよ。
ワタクシこと「仔羊おばさん」はベテラン教員で(自慢すんな!)、百戦錬磨なんで(自分で言うか!)、そういうところは大丈夫なんです。
幾多の失敗や苦しみの結果ですけどね、もちろん。
(;^ω^)
ふうぅー!
なんか、思い出すとちょっと疲れました。
また、上から目線だったり傲慢だったり独りよがりだったりして、不愉快に思われた方がいたら、ごめんなさい。
私には私の足りない点もあるし、違うアプローチもあったと思います。
未熟さもきっとあるし。
性格や考えの偏りもあるだろうし。
けど、50代半ばの「おばばのリアルの声」として、本音で書きました。
続きはまた明日…かな?
仔羊おばさん