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長年のワーキングマザー経験から綴る今

通勤路⑦「新世界」

 新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある  

                Wikipedia「新世界(大阪)」より

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 新世界です。我が家から、ここまで歩いて25~30分くらい。

 

 天王寺ーてんしばー天王寺動物園、と歩いて来てのココ、新世界です。

 

繁華街「新世界」の位置と歴史

 位置 

ざっくりいえばJR新今宮駅の北側に広がる商店街みたいなところ

それが「新世界」と呼ばれている繁華街です。

駅前に今後、「星野リゾート」のホテルが開業予定です。

これはこの町のみならず、大阪市民にとっての大きな「どよめき」でした。

「治安がどうのこうの言われているが、世界の他の都市と比べるとそう治安が悪いわけではない」という旨の発言を社長がされていましたが、その通りです。

駅の南側は「あいりん地区」とか「釜ヶ崎」と呼ばれている、「貧しい労働者の街」です。

 

歴史

1903年 明治36年 この地にて「内国勧業博覧会」というものが催されたそうです。今でいう万博のようなものだったらしいです。それがこの「新世界」の始まり。そして、「天王寺」は当時、「天王寺村」でした。

1909年 天王寺公園ができる

1912年 「新世界」誕生。 通天閣ができる。儒学者、藤沢南岳が「通天閣」の名付け親。新世界のコンセプトは今のテーマパークに似ており、パリ、ニューヨークを模倣していたようです。芝居小屋や映画館が集まる、新名所だったわけですね。

1915年 大正4年 天王寺公園内に天王寺動物園開園

1930年代 現在の天王寺阿倍野あたりに近代的映画館、百貨店が開業

1943年 通天閣解体

1945年 大阪大空襲 新世界も焼失

1947年 ジャンジャン横丁(いろんな店が集まったとこ)誕生

1956年 2代目通天閣誕生 前のより少し北側に位置、今の通天閣ですね。

1950年代後半~1970年代 1970年の万博前から日雇い労働者があいりん地区に集まり、労働者の暴動も起こり、街のイメージがこの頃より悪化。若者や家族連れは「キタ」と呼ばれる梅田や「ミナミ」と呼ばれる難波・心斎橋あたりへ。もちろん近場の「天王寺」にも。その結果、「新世界」はあいりん地区の労働者が大半を占めるようになり、「怖い街」化。映画館も減少、成人映画か名画座に。1975年には通天閣の入場者数が過去最低に落ち込む。

 

 今の新世界

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 串カツ屋が軒を並べ

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 上の写真のような雰囲気のある店も。

 

たこ焼き屋

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 私の通勤路はまだまだ続きます。

仔羊おばさん