通勤路⑫ 木に話しかける

 一人でくよくよ悩んでいる時

 

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 この木に

 

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 この木に、話しかけている時があります。

 

 また孤立してしもてん…

 

 なんか、答えが出えへんねん…

 

 どうしよう、絶体絶命大ピンチや…

 

 ほんま一人や…

 

 どうしたらええねんやろ…

 

 もう、あかんのかなあ…

 

 などですね。

 

 亡くなった自分の父に話しかけてる時もありました。

 

 あたしは、お父ちゃんの娘やで。こんなもん負けへんで。

(; ・`д・´)

 仔羊おばさん

 

転職からの振り返り

 私が今の職場に転職したのが2017年3月。

 その後の自分の気持ちの変化を一度、振り返ってみたいと思います。

 

 蜜月期

 最初は蜜月期です。新規校の立ち上げ、という仕事内容も自分にはすごく合ってて楽しかった。私は何にせよ「創造」って好きなんですね。例えば家事でも、料理が好きだし。カリキュラムを考えたり、授業スケジュールを組んだり、そういうことが楽しかった。

 人との出会いも楽しんでいた。

 でも、すべての出会いが愉快なかったんですが、そういうことも転職前に覚悟はしていたし、蜜月のパワーで乗り切れていました。

 

 最初の壁ー現実の見え始めー

 5月くらいでしたか。 

 いよいよ本当の仕事の始まりと言うべきか、最初の問題にぶち当たります。私が最初にぶち当たったのは、上司同士の対立です。その対立は深刻なもので、二人はできうる限り口もきかないし、取るべき連携もとらない。組織が機能不全に陥る。ここまで

 で、上司の上司に相談をしたのがこの頃かな。

 あと、上司の仕事の仕方とかに「?」 ん? (。´・ω・)?

 と違和感を持ち始めたのもこのころのこと。

 

 仕事が回り始める

 7月から9月。この辺りから、本当の仕事の始まりとなった気がします。学生の最初の大きいテストも終わって、実際の実力とかわかってきて、本格的にわたしの仕事も回り始めました。

 新人が入社してきて、その新人を育てる、という業務も出始めます。

 

 あれ?ちょっとどうなの?

 はっきりはしませんが、10月から12月あたり。新人と自分の関係、主任と新人の関係、学生の動向、いろんな動きが見え始めました。主任の言動の「実」のところもだんだん見えるようになってきて、いわゆる「蜜月期」の完全なる終焉がこの頃だったと思います。蜜月期が終わるのは当然のこと、はじめ私は自分を抑え込もうとします。「文句を言わず、ただ淡々と働こう。」と考えていた時期です。

 

 「わーやっちまったぜ」が増える

 主任はじめ新人の「実のところ」が見え始めると同時に、自分自身も自分のなにもかもを同僚にさらすことが増えました。入社して半年くらい経つと、自分のめっきもはがれていくということです。

 私の場合で言えば、夕方腹が減ると機嫌が悪くなってぷりぷり怒る、つむじを曲げる、などですね。誰も悪くはないのに一人で不機嫌になったりするのです。はた迷惑なやつです。

 ほんまごめん!(>_<)

 でも繊細な人はそれで傷つくし、さらにそれから陰口を言われたりするわけで… 

 ああ、またこのパターンに陥る…「職場で孤立する」

 私は前職でも、このパターンに陥ってました。

 自分の信条、信念、仕事のやり方人との付き合い方のパターンが前職の時と変わらないため、同様の状態がまた出現したのです。

 

 上司(主任)と衝突

 12月~2月。

 まずは、新人が授業、学生指導で壁にぶつかる。当然ですよね。次に、上司が学生と衝突する。それを巡って上司と私が対立する。今思えば、ですけど、上司にしてみれば絶対的に味方だと思っていた部下の私が「裏切った」みたいに思ってショックだったんでしょう。これって当時は見えなかったことです。

 だから、もしもあのまま一緒に働くんだったら、私は徹底的にこの上司のサイドにつくか、あるいはそれに類似するメッセージを上司に送って、関係を作り直すとかしたらよかったのかな、と思います。

 ただ、そういう関係をそれまでに構築してこなかったため、当時の自分にはそういう発想がなかったです。

 この上司はショックの時に落ち込むとか反省するとかいうパターンを取らないで「相手を追い詰める」方向に行くので、私がその標的となり、かなり苦しい時期を過ごすことになりました。

 最後、上司(主任)が辞表を提出されました。

 5月くらいに「私は2月に辞表を出して辞める」と宣言されていたので、それが実現しただけなんですが、私は対立状態にあったので、なんか周囲から見たら、私が引き金みたいに思ってるかも。

 でもね、この上司がいい関係を築けなかったのは、私で3人目だったので、この上司も自身の「人間関係パターン」に陥ってた、ということですね。

 こういう時、組織自体がしっかりしている会社なら社員のそういう傾向を飲み込んでってくれるんでしょうが、組織がまだ確立してないとこでは人間関係そのものが仕事を呑み込みでってしまうのだな…と、今、感じます。

 そして今、2年目を迎えました。

 

 今も、「わーやっちまったぜ」を私はたまに発動しており、そういう意味で全くこころもとないです。

 主任を頼まれて、主任をすることになると思います。

 自分のやりたいことが実現できそうな点はうれしいですが、こうして振り返ってみると、私は私の悪いパターンを持っていることがわかります。

 

 人間って悲しい。

 

 

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 どうしよう、私。

 

 仔羊おばさん

 

授業を受け持ってもよい要件が主任になかった! んで、主任を頼まれた

 あかん。タイトルわかりにくい。すみません。(;^ω^)

 まず、私の職場に「主任」がいます。日本語学校にはいろいろお上(かみ)から決められていることがあって、この「主任」も学校にいなくてはいけないのです。

 そして、その「主任」になるにはいくつか条件があります。

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 学校創立時の主任が3月に辞めて、その時、正直、「主任やりたい」という気持ちも私はあったので、申し出ました。でも、めちゃくちゃやりたいってのでもありませんでした。定年もそう遠くない将来だし、細々と長く続けたい、というのが希望だったんでそれも申し上げました。

 私のいる学校には専任が3人いるのですが、主任の要件を満たしているのは私だけでした。で、その時は学校の判断は「新しい主任を募集する」となり、募集をかけました。結果、誰も応募がなかったため、もともとこの学校立ち上げの時に主任を頼みたいと思っていた先生(77歳)に、会長が声をかけて、頼んで、主任として来ていただきました。

 

 とても上品で、人当たりの穏やかな老婦人、といった趣の方でした。

 

 日本語教育については、日本語学校で1980年代後半くらいから教えていて、最後は(70歳くらいまで)大学で外国人に教えていた、という経験豊富な方でした。

 5月くらいに出社されるようになりました。さあ、授業に入ってもらいましょうか…ということになったんですが、聴解の機材使えない(パソコン操作がさくさくできなかった+ご自宅から持ってこられたCDラジカセも操作がおできにならなかった)、7年ブランクが空いていて、授業がうまくいかなかった。

 ということで初級の授業からは外れてもらって、週に一回上級の読解の授業を持ってもらいました。声は小さいけど、こっちの方はそこそこうまくいっていました。

(^_^;)

 

 入管に、主任の書類の提出をごく最近、事務局がしました。

 実は、この書類を主任がご自宅で探し出すのにも5月から6月中旬くらいまで結構な時間かかっていたんです。その間、授業を受け持ってもらってたのです。

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 おととい、なんと!

 入管から

平成28年にルールが変更になった。今の決まりでは、この方の資格では主任にはなれない。授業担当もさせてはならない。」

という連絡が入りました。

 理由の一つは

「420時間以上の日本語教育講習をうけていない」

 もう一つは

日本語教育能力検定という試験に合格していない」

 

 この、二つの要件ともに平成28年に決まりが変わるまでは経験年数などが一定年あれば大丈夫だったんですよ!この主任は420時間はないとのことだったんですが、国立国語研究所のそれはそれは立派な研修を受けておられたんですよ。

 大学で教えておられたくらいだから、専門も国語で、若い頃には日本語学校の主任も務めておられたんですよ。

 

 でも、だめ。

 

 チーン

 

 ( ̄д ̄)

 

 私も、この決まりが変わったことは知らなかったので、まさかまさかこんなことになるとは思いませんでした。

 授業も、単独では受け持っていただくことはできないそうです。

 

 入社してもらう前によく確認しろや。

 

 て、ことですね。

 

 それで、結局、主任を会長から今日、頼まれました。

 

 でも、私は学生の進学担当で、これから40人ぐらいの学生の進学を今秋みていくことになります。

 なので、重々無理はせんようにと言われています。

 あと、40代の専任でしっかりしてるのが一人いるので、その先生に引き継ぐことを前提にやりたい、と言っています。

 

 ふう (@_@。

 

 人生、何があるかわからん。

 

 サッカーも同じ。

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仔羊おばさん

 

 

 

 

 

通勤路⑪涙の出そうな一言

 1時間ちょっと歩いての通勤をしています。帰りは電車で帰るんですけど。

 天王寺、新世界などの繁華街を抜けると、後は何の変哲もない街中を淡々と、淡々と歩きます。その途中で、こういう広告を出している店が。

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 今のところ、私の家族に認知症がいるわけではないんですが、本当に気持ち的に通勤がしんどい時、この広告にどんだけ慰められたかしれません。

 実は、薬局の外に貼ってあるポスターなんです。

 

 私は結構「一人で悩む」クチなんですね。

 SOSを出すのが上手な人がいて、そこはほんまにうらやましいです。

 結婚しているといっても、夫に話したところで「じゃ、辞めたら?」みたいなことで話にならんのです。

 辞められへんことはわかっているので。

 そこに結論が持っていけるなら、そもそも悩みません。

 で、他の人に話したいと思ったら、

その人に会う約束をとりつける。

 というのが大きい山なんです。

 まず、自分に暇がない。

 相手にもない。

 とかなると、「会うのは1か月先」とかなんで、その間「ひとりで悩む」ことになります。

 この「約束する」のに、メールしたりラインを送ったり、それもしんどいじゃないですか。そもそも自分にエネルギーなくなってるのに、いつも以上のことを抱えて生活する、ってのがすでにしんどい。

「同僚にグチる」のが手っ取り早いとはわかっているけど、そんなことしていいとは思わないし(悪口とかになりがち)、同僚とメシ行くのも愚痴目的とかだとなんかイヤ。

 んなワケで、この広告は、そういう時に見かけると涙が出そうになる一枚なんです。

 仔羊おばさん

 

 

はあー (T_T)

 忙しいは忙しい最近です。ということで、ブログの更新もできてませんでした。

 本当は、樟蔭女子大学の英語講師の先生が「雇止め」になった件で少々「怒れる仔羊おばさん」化しまして、そのことを書こうと思ったんですが、ここのところの「仕事追いつかず」が、相変わらず追いついておりませんで、かつ追いつけそうになく、ほんまにしんどい毎日です。

 それで、樟蔭女子大の一件はちょっと延期。

 

 忙しさ自体は、40代~50代前半までの6割くらいかと思うんです。

 世の中には私より激務の方が大勢いらっしゃることも理解はしています。

 でももう。「余裕のスケジュール」が、今の自分にはちょうどいいくらいで、ちょっとしんどいと

 ( ̄д ̄)

動けないんだよー

しんどか。

 仕事の山を目の前にして、「はあー追いつくこと、あるんやろか」

 

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 仕事山

 

あー休みほしい!

 

仔羊おばさん

夕焼けきれい

 世間がこうしてワールドカップで盛り上がってるさなか、転職活動中であるとか、職場に身の置きどころがなくなってるとか、他の人の不始末を自分が背負わなきゃならなくなってる方とか(時に辞職に追い込まれることもあるのかな?)、もしかしたらいるかもしれません。

 

 私は、何も言えません。苦しみはその人の苦しみ。痛みはその方の痛み。

 代わってあげられるわけもなく。

 だから、今日はこの写真を貼ってみます。

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 写真が下手で伝わりませんが…

 夕焼けです。

 もうすぐ日が暮れる。

 悲しいけど。夜が来て、暗くなってその次にまた夜が明ける。

 

 私はまたまた今晩ワールドカップのパブリックビューイングへ。

 勝敗予想とかテレビで盛んにやってますが、いやもー負けそうですよ。(>_<)

 

 でも、負けも人生の一部です。

 

 夕焼け、ますます濃くなってきました。

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 敗戦予想が覆ればよいのですが。

 

 仔羊おばさん

 

仕事、仕事、仕事 そして通勤路⑩結婚式の思い出

 

 今週はほんま忙しかったー

 教師って要は「テスト前」と「テスト後」がしんどいんですよね。今も全然(ぜんっぜん!)、仕事終わってません。

 

 私の通勤路に、こんな駅があります。

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 今宮戎(いまみやえびす)、と言います。1月には盛大に「えべっさん」という、商売繁盛を祈願する行事があって、ここには屋台がずらっと並びます。

 この線路ー高架ーの下には今もホームレスが。

 

 そこからてくてく歩いていくと

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 大国町(だいこくちょう)です。

あのおっちゃんに会ったのはこの辺

from55life.hatenablog.com

 あの時期、精神的にはきつかったー

 

 この、「大国町」にこんなビルが今も残っているのです。

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 白い、まるまるっとしたビル。

 ここには昔、「tomiyama」って靴屋さんがあったんです。もう倒産したんですけど。

今の「ABCマート」のような位置づけで、安い靴を売ってる店でした。

 安いは安いけど、上の方のフロアはそれなりに高級な靴も売ってて、私は

大学卒業の謝恩会ではいた青いヒール靴も

結婚式ではいた白い靴も

 ここで買ったんです…。

 それでも一万円未満だったな。

 

 この辺りは、大阪最大の貧しい者の町、あいりん地区の近くです…。

 庶民の町なのよね。

 この「もと靴屋」の店の真向かいに、いわゆる「日用品店」みたいなのがあって、ワイシャツが安いから、そこで主人が結婚式で着るワイシャツも買った。その店も今はもうない。

 懐かしいな。

 私も主人も貧しかった。

 仕事、仕事、仕事…働いて働いて、今は経済的に安定してる。

 感謝やな。

 

 仔羊おばさん