どうぶつの森

今週のお題「ゲームの思い出」

 50代の私は、いわゆる「ゲーム世代」ではない。

 子供が盛んにゲームをしてた頃に、自分もハマってしまったのが一つあった。

 それは

f:id:from55life:20180719004757j:plain

 どうぶつの森

 

 木をゆすっては実を落とし、水辺に行っては魚を取り、空に風船浮かんでたら撃ち落とし、ともかく、私は労働しまくって、部屋のインテリアを整えた。

 せっせと働いたから、お金がたまって、地下室も作れたし、2階もできた。

 イースターには「卵」で作られた、家具・調度品の数々を集め、見事な卵部屋を完成させた。

 当時住宅ローンを毎月払っていた。

 私が「どうぶつの森」に夢中になったのは、その現実世界の代償みたいなもの。

 とにかく早くローンを返したかった。

 それで、ゲームの中の私はものすごく勤勉に働いた。

 

 実際の人生でも結局、働いて、働いて、あんまり遊んでいない。

 

 今だったら、「サッカー部屋」作るかな?

 

f:id:from55life:20180621224433j:plain

仔羊おばさん

 

転職して1年と3か月主任になった⑥「ガラスの天井」考

 主任としての仕事を始めて1週間。

 もうすでにパンクしそうなので、今日は上司にSOSを出したところです。

 はよない?(早くないですか?)

*1ケラケラ

 

 「ガラスの天井」は、女性が社会進出(この言葉、古っ!)し、キャリアを積んで地位、身分的に上昇ーー要は出世ーーする際に存在するような存在しないようなある種の壁のようなものを指します。

 制度上、法律上は平等なのに、女性の「長」は、あまり出現しなかったりするので、こういう「ガラスのように見えない天井」が存在するんじゃないかということです。

 

 私は今日、「主任の業務なんかほんまにいらんよなー」って思いながら帰ってきました。主任という存在が職場に必要ないって意味じゃなく、私の人生に「主任業務」というものはいらん、と感じたのです。

 初めて仕事に就いた日、いやそのもうずっと前、幼い子供のころから「自分が人の上に立つ」というイメージがずーっと、私にはなかった。

 これ自体が私にとっての「ガラスの天井」なのかな、と今日は思いました。

 日本語教師になるための勉強を始めた日に、「主任業務」を想定していなかった。

 たしかに、主任になくりたくて日本語の業界を選んだんではないんです。でも、日本語教師になって、ベテランになれば、その立場に立つことは想定していて当然のはずです。

 

 ねえ、長谷部キャプテン!

f:id:from55life:20180704061841j:plain

 

 「カリキュラムの立て方」とか「コースデザイン」についてとか学んでいたのに、自分でそれを作って人を動かしていくという想定がなかった。

 今は、女性も仕事を持って当然、結婚しても出産しても仕事を続けるという選択をする女性もますます増えてきているはずです。

 これからは「人の上に立つ」ことも考えてね。

 

 でも、長時間労働はほんまにいらん!

 仔羊おばさん

 

 

 

 

*1:´∀`

転職して1年と3か月主任になった⑤ 意外ときれいごとで転職した

 今の職場の面接の後、即採用が決まって、しばらく考える時間をもらいました。

 年間休日が減るのが最大の要因で、次に給料が減る(自分の試算では2年目で横ばい、3年目でやっと現状を越える、とみた。ボーナス分は不確定なものなので)のが躊躇の原因。

 転職したい気持ちを後押ししたのは、

1.正社員になれる

2.定年が65歳

の二つがありましたが、最終的に決断したのは、やはり福祉関係の会社であったことです。

 そもそも、そうでなければ履歴書さえ送ってなかったと思います。

 私は大学で社会福祉学専攻だったのです。

 社会福祉 社会保障を誰が、どういう風に担うのかについて、私が大学生だった時に盛んに論議されていたのは、

 家族がになうのか vs 社会がになうのか

でした。1980年代初頭ですね。

 

 ちょっとお勉強。

 社会保障の負担、3つの典型的な型

f:id:from55life:20180715155812g:plain

 

 家族依存型で行くのか、政府依存型で行くのかという論議があったわけです。

 「市場依存型」は社会福祉サービスを市場にゆだねるということですので、お金のある人は高いサービスを受けられる一方、貧しい層は大変なことになります。「健康保険制度」も似たようなことですから、アメリカの医療保険の現状を考えていただければ、どういう社会なのか想像していただけると思います。

 日本人には、極めて受け入れがたい制度だと思います。

 ですので、1980年代初頭も今も「市場依存型で行こうじゃないか」という主張は主流にはなってませんよね。

 

 昔の主流は「家族依存型」だったわけですが、これは「嫁」の立場の負担が重すぎること、今も「介護離職」が問題になっているように、家族の生活が破たんするケースが出てきてしまうこと、などがデメリットとなります。

 私は大学卒業後ずっと社会福祉関係の仕事はしてこなかったのですが、「介護保険」が出現した時、ああ日本は政府依存型を目指して進むことになったんだ…と理解しました。

 そして、介護の現場に外国人を入れることについて、誰だって当初は賛成していなかったと思いますが…。

 

 今、介護の業界は空前の人手不足、その労働力不足を埋め合わせるため、外国人労働力を入れようとしています。

 そこで、その人材に日本語の教育をするための日本語学校がどんどんでき始めていたのです。…今も、そういう学校が増えていますね。

 

 また、外国人観光客の誘致も、景気をよくしていく政策の一つとして、積極的に行われています。

 そして、日本語教育業界ではもう一つ、2008年に日本政府から発表された「留学生30万人計画」も大きく影響していて、そういうことがすべて相まって、日本語学校が増えてきているのです。

 

自分のキャリアもあと5年か、長くても10年なのかあ…

 

大学のゼミの先生も、福祉関係の仕事に就いたら、喜んでくれるかなあ…

(仔羊の大学のゼミの先生は、もう他界されて7-8年になりますか…)

f:id:from55life:20180624193411j:plain

 なんか、そういう気持ちになりました。

 私が今働いている日本語学校も、経営母体の目的は、介護の外国人人材の養成にあります。

 自分の仕事を通じて世の中に貢献する。

 今、自分にできる貢献ってこれかな。

 (´・ω・`)

 キャリアの最後にできる恩返しはこれかな。

 

 決断したのは、意外にもそんなきれいごとでした。

 何が正解かは、よくわかりませんが。

 

 仔羊おばさん

 

 

転職して1年と3か月主任になった④ お金の話

 おカネの話、しちゃいます。

 でも、クソ長く働いてきた割には、それも正社員やら常勤講師やらで働いてきた割には、私の収入はずーっと低いので、スケールが小さい話になるかもしれません。ご容赦ください。

 

f:id:from55life:20180712235315j:plain

 私の狭い世界の中では、仕事に対する賃金がいくらか、ということでお仕事ライフは変わってきます。

 か~~~んたんに言っちゃうと、賃金が安ければ安いほど、上司や組織の良い評価は得やすいです(少なくとも私が働いてきた世界では)。

 「給料が安いのに、いい働きをするじゃないか」と言ってもらえるのです。

 これが、給料が高い人だとそうはいきません。少々結果をはじいても「当然」の範囲内、大きい結果をはじいてこそ高評価です。

 私は前職で給料がぽんぽん上がった時期があって、実際、日本語業界の給与水準からすると上がり過ぎてしまいました。額面で30万円越え、手取りで25~27万円あたりですかね。非正規ですからボーナスなし、退職金なしですよ。

 上司にすりゃ「仔羊が辞めて新人に首をすげかえることができれば月10万は節約できる。10万なら週4日教える非常勤一人分はゆうゆう出せる」と考える額です(たぶん)。

 なぜそうもぽんぽん上がったのかというと、ちょっと手柄話になってしまうのですが、上がる前、つまり私の給与がそう高くもなかった頃に、受け持ちのコースで日本留学試験(日本人の学生でいう「センター試験」みたいなもん)の点数で国内最高点を、なぜだかどっと排出したのです。

 ただ、私の力がなかったとは言いませんが、実際、担任の力、学生のやる気、非常勤講師の質の良さ、学校組織のかなりな厳しさなど多くの力が結集しての高得点であったことは事実です。

 サッカーの試合で、ゴールのシーンが何回もオンエアされて勝利の要因に挙げられるけど、実際、試合に勝つにはMF、DF、ゴールキーパーから監督、コーチ、チームスタッフに至るまで多くの人の力の結集が大切、というのに似ています。

 一人だけ踊ったって、

f:id:from55life:20180713002547p:plain

 何、踊ってはんのん?みたいなことで。

 (;^ω^)

 

 一人だけの力でできることではないのです。

 だから、昇給は誰かに偏ることなく全員に一律、でぽんぽんと上がっていった時期があったわけです。

 で、その中で入校の早かった、私の1年先輩と私の給与が上がり過ぎてしまったのです。

 危険な状態でした。(>_<)

 そういう風に考えると、給与はあんまり上がらん方がいいのです。

 なぜなら、学生の成績が年々常に上がり続けるなんてことはないからです。

 そのタイミングで学科長が変わり、私が退職に至る、その後の4-5年で、私の給与も下げられ続けましたが、1年上の先輩は冷遇されて辞めて、他の高級非常勤講師の時給も下げられたと聞きました。

 こういう時、給与をぽんぽんと上げることを決めていた以前の学科長や、その部下だった以前の主任の責任は?

 なーんて考えるのは下っ端の人間だけで、新しい上司としては、まずは自分の成果を出すために、ともかく削れる人件費は削ろうとするゆえ、そういう事態が起きてしまったのだと思います。

 給与のことは、私もただの常勤講師が30万を越えるのは危ないと思いましたので、30万を超えるときに、実は、「後から下がるくらいやったら、その方が嫌なので、もしもそうなるなら上げないでくださいね」と主任に言ったのです。しかし、当時の主任は「そんなことはあり得ない」と思っていたらしく、一笑にふされました。

 「上げてやる」と言っているのに、それを「いらん」などと口走るのが信じられなかったのでしょう。

 でも、それまでも立場の弱い非常勤講師から首切り(「雇止め」という専門用語でそれは呼ばれている)が行われたりするのを見てきた私としては、ちょっと恐怖がありました。

 実際、その後、「給料下げます」ってことになりましたしね。仔羊の読みは「当たり」でした。

 

 そんな私なので、先日、今の職場で主任になってほしいと言われ、主任手当の話が出た時、即座に「そんなんいりません」と即答しました。

 (;^ω^)

 アホ

 と笑ってください。

 

 それくらい、日本語教育業界の組織は講師を守りません。経営基盤がぜい弱な業界ですから、守りたくても守れないのだと思います。

 

 これから就職をする方は、業界をよく調べましょうね。

(^◇^)

仔羊おばさん

 

 

 

転職して1年と3か月主任になった③ 転職活動時に考えていたこと

 まだ前職に就きながらの転職活動にあたっては、履歴書を送る、あるいは応募するのに、私なりに基準はあった。

 まず、自分のよく知っているライバル校には行かない。

 これは、前職の学校を心の底から嫌になったわけでもなく、愛着もあったことが大きく関係している。なんとなく「干されてる」感も持っていたし、次に「仲間外れ」的なポジションに自分がいくことを予感はしていたが、それでも自分から退職しようとかは考えていなかった。

 冷静に振り返ってみても、結局、その時点で私は学校の足を引っ張っていたのではなく、むしろ貢献の方が勝っていたのだと思う。

 だから、逆説的な言い方になるが、「干される」程度で済んでいたし、難物と言える業務分担に当てられていたのだと思う。

 あれで「貢献度が低い」とかだと、私が転職活動をするまでもなく、あっという間に退職に追い込まれていたかも(残酷な話)。

f:id:from55life:20180708210410j:plain

 次に、正規雇用になれること。

 待遇的に横ばいだと、このまま60まで勤め上げて、非常勤でどっかに行くという選択をすればよい。その時はライバル校に行ってもいいかな。

 あとは、当然のことだが、金もうけだけ考えている学校には行かない。

 まともな学校に行く。

 これは、自分の「ハナ」を信じるしかないが、キャリア残り少ないのに、まともじゃない学校をまともな学校に変えようとしているうちに定年がやってくる、という事態は嫌だった。

 給料はできれば横ばい。

 これは、下がるのはやむをえないと思っていた。覚悟していた。世の中甘い話はない。だけどあまりにどっと下がるなら、転職せずに続ければいい。

 

 求人募集は、いろんな転職サイトにも登録はしたが、結局「日本村」という、日本語学校の求人を行っているサイトを利用することになった。

 

 仔羊おばさん

 

雨こそ怖い

 驚きました。

 つい先日、大阪で地震があって、学生がすっかりブルっちまったので、避難訓練を実施したばかりでした。

 金曜日は、大阪でも電車が止まったりしてたので、学校は午前休となりました。

 でもその時はまさか、全国でこんなに被害が出るとは夢にも思いませんでした。この雨で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げますとともに、悲しみに寄り添いたいと思います。

 雨の怖さを、改めて思い知りました。

f:id:from55life:20180616002552j:plain

 学生にも伝えないといけないと、今、思っています。

 仔羊おばさん 

転職して1年と3か月主任になった② 採用まで

 前職の学校規模は大きかった。

 専門学校自体の歴史は約30年。私の所属してた部門は30年はなかったと思うけど、それでも25年くらいはあったと思う。

 日本語関連だけで、事務部門で働いているスタッフ15人くらい(正社員4、5人と、契約社員10人程度) 専任教師10人くらい(うち2人が主任、でも全員1年契約の非正規雇用)、非常勤講師たぶん40-50人くらいいた。

 

f:id:from55life:20180708175234j:plain

 専門学校だったから、保険は「私学共済」というやつで、以前私が正社員の時に加入していた社会保険と比べると、百貨店で割引価格で買えたり、その他宿泊施設も利用できるなど、目に見えるメリットが結構あった。

 私はお金関連にはうといので、語れるのはその程度で、年金についてとか保障についてとか保険そのものの良さなどは実は今もってよくわかっていない。

f:id:from55life:20180708175301p:plain

 ともかく、待遇は悪くなく、年間休日も135日くらいあったから(有給休暇もそれにプラスしてあった)、本当に悪くなかった。

 強いて欠点を挙げるなら、組織とルールがしっかりしてる分、融通は利かなかった。今勤めてるとこなどは年間休日105日と異様に少ないが( ̄д ̄)、融通も利く。例えば〇時間休日に勤務したら、出勤日に〇時間遅出にしたり早退にしたりしやすい。上の許可をもらえば大丈夫。

 でも、前職だとそういう融通は利かず、休日に出勤するなら1日フル、その代わり代休も1日フル。どうしてもちょっとだけ仕事があって出勤して何時間かで帰る、とかだとただ働き。

 あと、前職は年契約で、その身分に慶弔休暇はなかった。

 今は正社員という身分なので慶弔休暇がある。

 前職は退職金、ボーナスなし。

 今は退職金、ボーナスがある。その分、給料は低い(年収にしたらいっしょくらい)。

 前職の定年は60歳、今の職場の定年は65歳(でも延長可ですよ、と定年を確認するたびに言われる)。

 

 まあともかく、待遇は悪くなかったし、自分が転職できるともあまり考えていなかったから、しんどくてもそのまま勤め続けることを想定していた。

 ただ、50代も半ばになると、ああ、働いてもあと5年かあーと思うと、

「自分のキャリアの最後、何がしたい?」とか

「やり残したこと、ない?」とか

「定年後、非常勤になるんかなあ。そしたら、ここで非常勤するかなあ。他校に行ってもいいよねえ。」

なんて考えるようになった。

 

 女優の桃井かおりさんが

f:id:from55life:20180708203428p:plain

 ハリウッドのオーディションを受けたりしてる、というのを聞いたことから、

あーあんなに功成り名を遂げた名女優でも

ずーっと挑戦を続けてるんだ。

じゃあ、私もやってみるか

(;´・ω・)

と、思うようになりました。

 別に落ちたっていいし、給料いくらくらいもらえるのかとか、自分の市場価値を知るのも悪くないかなと考えました。

 それで、転職サイトに登録し、写真も撮り、履歴書を作り、書きました。

 

 その後、採用まで履歴書を送ったのは計2社(校)です。

 

 一社目は不採用でした。

 二社目は今のとこですが、特徴的だったのは模擬授業が「読解」だったことです。

日本語講師の採用試験は、模擬授業を実施するところが少なくないのですが、大抵は文法の導入と練習、であることが多いのです。それが「読解」だったのは、渋かったです。私がやった模擬授業は、自分では成功とは言えないものでした。

 しかし、採用されたので不思議です。

 ただ、いろんな要因もあったかと思います。

 

 行ったら、先に模擬授業で、その後の面接で即採用でした。

 

 でも、ちょっとの間、考える時間をいただきました…。

 

f:id:from55life:20180708210410j:plain

 仔羊おばさん